事業責任者を務めるお客さまが社内のマニュアルを見せてくれました。これまで多くのマニュアルを拝見しましたが、すばらしい出来栄えです。飲食業ですが、仕込みや調理、片づけ、接客など詳細に写真入りで正しいやり方が定義されています。なかなか、このレベルのものに出会うことはありません。相当な時間と労力、そして思い入れが込められています。
このマニュアルの目的は、作業の標準化です。ただ、作成に至った背景や経緯をお聴きするとちょっと違う目的も見えてきました。やや語弊があるかもしれませんが、それはパワハラ対策です。40年近い社歴の同社では、職人気質のベテランもいて、感情的に叱るだけ叱って、フォローもないし、ロクに教えもしない…というような場面が多々あるとのことでした。
「だから共通言語化が必要でした」
聴きながら、共通言語とパワハラを結び付けられずにいると、さらに補足してくれました。同社では、パワハラそのものをなくす啓発的な施策も進めていますが、教えるための基準がないこともその一因であると捉えています。ベテランたちは、仕事は見て盗んで、怒られながら試行錯誤して覚えるものという暗黙の了解のなかで育ってきました。だから、いざ教えようにもうまく言葉にできない。つまり共通言語がないために、感情的な叱責につながってしまうというわけです。
彼らが感情的になってしまうのを、あえて肯定的に捉えると、それだけ一生懸命ということです。美味しいものを食べてもらいたいという気持ちや自分なら美味しいものを作れるというプライドを社員たちは持っています。
同社はチェーン展開をしています。したがってブランドも重要な要素です。社員たちが持っている気持ちやプライドを料理やサービスとして表現すること、また、それがどの店に行ってもこの人たちのアイデンティティだと感じられることが求められます。
マニュアル人間という言葉があるように、ときにネガティブな印象がマニュアルにはあります。言われた通りのことだけしかできなくなり、考えなくなってしまうのではないか、というものです。実際そのような側面もあるでしょう。
ただ、立ち返る軸がないままの考えや行動も問題です。私たちのクオリティはこういうものだ、そのための正しいやり方はこれだ、という軸があるから、建設的な創意工夫が生まれるのだと思います。
人手不足の中、タッチパネルやロボットの導入が進み、飲食店に行っても最初から最後まで店員と接しないことも増えてきました。そのような文脈だと、マニュアルは、効率化の道具程度の認識になります。結果として、個性のないお店が増えてしまうかもしれません。働く人にとっても、この店だから働きたいという愛着が生まれにくいように思います。これはパワハラ以上に離職の原因になるはずです。
やはり、それでは寂しい。ただの手順書ではなく、自分たちがどうありたいかを自分たちの言葉で表現し、体現するためのバイブルがマニュアルのあるべき姿だと思います。