― アリストテレス
AIの進化によって、文章を書く、データを分析する、提案を構成するといった知的な営みの多くが、いまや機械によっても可能になっています。かつては「頭の良さ」とされていた力が、誰にでも使えるツールで代替可能になったとき、私たち人間に残された価値とはなんでしょうか。
アリストテレスのこの一節は、その問いに静かに響きます。
「徳(アレテー)は、生まれつき備わっているものではない。行為の繰り返しによって、私たちの中に育つものである。」
それは、どんなに正しいことを知っていても、実際にやってみなければ意味がないということです。そして、1回だけやるのでも足りない。繰り返すことでしか、ほんとうの意味で「自分のもの」にはならない。
これは、仕事への誠実さやリーダーシップにも通じます。
どれだけ理念を掲げても、どれだけ頭で理解していても、それを日々の現場で「やる」かどうか。言い換えれば、迷いながらも選び、行うことの積み重ねが、私たちのあり方をつくっていくのです。
頭の良い人ほど、つい損得や効率を先に考えてしまいます。これは責められることではありません。むしろ合理的であろうとするその姿勢は、組織において重要な役割も果たします。
でも、だからこそ見落とされがちなことがあります。たとえば、非効率で回り道のような行動の中にしか見えてこない「誰かの思い」や「自分の未熟さ」。すぐに成果につながらなくても、迷いながら続けたからこそ気づけた景色があるのです。
現場に立っていると、そういう瞬間にたびたび出会います。
コンサルタントとして「正しい答え」を求められる場面もありますが、実際には、「ともに考えてくれる人」「すぐには答えを出さずに、寄り添いながら問い続けてくれる人」こそが、相手にとっての支えになることが多いと感じます。
人は、行為によってつくられる。
だからこそ、一つひとつの選択に、自分なりの誠実さや善さを込めることが、私たちの価値につながっていきます。
私たちは生かされている存在です。自分の努力だけではない、誰かの支えや偶然の機会に導かれて、今ここにいる。そう考えると、「善くある」とは、知識の問題でも、能力の問題でもなく、誰かとの関係のなかで、自分にできるふるまいを問い続けること。そういう人としてのあり方なのかもしれません。