(弊社所属のコンサルタントによる長編コラム「KC文集2026」掲載記事)
1.経営は揺れるものなのに、揺れないふりをしてしまう
コンサルティングの中で、「正解」を求められることが少なくありません。ときに私自身も、正解を示さなければならないという気持ちになっていることもあります。
とはいうものの、経営に正解はあるのでしょうか。
あるならば、AIに頼ればよい。実際、結構うまくいく。
ただ、もし、そこに正解があるのだとすれば、それは誰にとっても同じ解が求まるような、そんな問いの範囲でのことではないでしょうか。
「経営は、経営者の志が表れたものである」
これは稲盛和夫さんの言葉です。その人の生き方、考え方が経営に表れる。誰にとっても同じ解になるのだったら経営者は必要ありません。
志は自分の中にある。誰かに教えてもらうものではない。つまり、正解が一意に導かれるような問いの中にはない。“揺らぎ”ながらも自問自答を繰り返す中で深まっていく。そうした内省に価値があると改めて強く思い始めています。
コンサルタントとして現場に入ると、経営者も社員も、それぞれに矛盾や迷いを抱えている場面に遭遇します。お客さま第一の理念を大切にしたいと言いながら目の前の数字に追われる。自律的に動いてほしいと言いながら、つい押しつけの言葉が出てしまう。仕組みを整えたはずなのに、なぜか人が動かない。こうした矛盾に触れるたびに、私自身も揺らぎます。「これは、どう捉えればいいのだろう?」と。
お客さまと歩きながら気づいたのは、そもそも揺れない経営など存在しないはずなのに、私たちは“揺れをなかったことにする技術”ばかりを発達させてきたのではないか、ということです。
理論やフレームで武装し、整合的に説明しようとする。その瞬間、揺らぎは見えなくなり、対話の余白は失われます。「つまりこういうことですよね」とまとめることが、いつしか思考停止のスイッチになってしまう。
でも、本当に必要なのは“まとめること”なのでしょうか。
揺れたまま、宙ぶらりんのまま置いておく勇気もまた、経営者に求められる能力なのではないかと感じています。
揺らぎを抱え続ける時間にこそ、意味が生まれます。
自分自身の中で問いが熟成され、誰かとの関係性が変化し、組織全体の認識が静かに書き換えられていく。それは効率的ではありませんし、すぐに成果が見えるものでもありません。しかし、本質的な変化が起きるときには、例外なくこの“揺れを引き受ける時間”が存在します。
私もお客さまとの対話のなかで、何度も考えを揺さぶられました。「経営とは何か」「理念とは何のためにあるのか」「人はどうすれば変わるのか」「外部者として私はどこまで関わるべきか」。その揺れを通じて見えてくる風景があります。
2.なぜ“正しさ”を決めるほど、学びが止まるのか
企業を支えるうえで、仕組みは欠かせません。標準化されたプロセス、決められたルール、役割分担。こうした「型」があるからこそ、仕事は安定し、再現性が生まれます。
仕組みが整っていない会社は、判断が属人的になり、ミスが増え、現場が混乱します。
仕組みは、組織が「型」を身につけるための土台です。そして、この「型」があるからこそ改善点が見える。
しかし、ここで終わりではありません。
むしろ、仕組みが整った会社ほど、ある壁にぶつかります。それは、仕組みが安心を与える一方で、学びを奪うことがあるという矛盾です。
・仕組み通りにやっていれば怒られない。
・仕組みを外れなければ安全でいられる。
・仕組みの中にいれば、“正しい”感じがする。
こうして「型」を守ることそのものが目的になったとき、社員の主体性は静かに失われていきます。
組織がある程度落ち着いてくると、分岐点で必ずと言っていいほど “二項対立” が起きます。
・A案でいくべきか?
・B案でいくべきか?
・どちらが正しいのか。
・どちらが効率的なのか。
・どちらが失敗が少ないのか。
議論は次第に“優劣の決着”へと向かい、「どっちかに決めないと前に進まない」という雰囲気が漂い始めます。
この“決め急ぎの圧力”は、多くの場合、リーダー自身の不安から生まれます。
・迷いのある状態が落ち着かない。
・未決定であることに耐えられない。
・進んでいないように見えるのが怖い。
そうした不安を払拭するために、すぐに判断を下したくなるのです。
ここにジレンマがあります
◇決め急ぐほど、学びは減る。
学びとは、本来、
・“決められない時間”
・“揺れている状態”
・“正解を探りながら歩くプロセス”
の中に潜んでいます。ところがわたしたちは、この“揺らぐ時間”を嫌う。だから、急いで結論を求めてしまう。
哲学者キーツが唱え、近年ビジネスでも注目されるネガティブ・ケイパビリティ(答えのない状態に耐える力)は、組織の学習にとって本質的な力です。
これを欠いたリーダーは、
・早く決めようとし
・不確実な状態を避け
・ときにルールを増やし
・迷いを“悪”だとみなす
こうして、リーダー自身が “揺らぎを排除する存在” になります。揺らぎが排除される職場では、メンバーは“正しい答え”を探すしかなくなる。
その結果どうなるか。
リーダーの顔色が判断基準になる
主体性がないのではなく、主体性を出せば危険だと学習してしまう。その状態を「心理的安全性がない」と呼ぶこともできますが、もっと正確に言えば、「リーダーに心理的柔軟性がない」ことで、安全性が奪われる。
心理的安全性は“場の状態”ではなく、まずリーダーの中にある“余白の広さ”なのです。
◇ルールは増えるが、迷いは減らない
迷いを嫌うリーダーほど、「ルールを増やせばうまくいく」と考えがちです。しかし、ルールが増えるほど、
・判断の自由は減り
・創意工夫の余地は減り
・社員の考える力は弱まり
・ルール以外の行動が“危険”に見える
つまり、ルールが増えると主体性は縮むのです。
ルールには限界があります。
それは、ルールが“過去の正解”を基準にしているからです。未来はいつも、過去の正解の外側にあります。
では、どうすればいいのか。
社内には、二つの価値観があります。
・もっと挑戦しよう
・もっと確実に進もう
どちらも間違っていない。どちらにも正しさがあり、どちらにも欠点がある。
この状況で「どちらが正しいか」を決めようとするから組織は苦しくなるのです。社内の価値観で判断すると、必ず対立を生みます。どちらかが“勝ち”、どちらかが“負ける”。不確実さに耐えられないリーダーほど、この対立を嫌い、結論を急ぎます。
しかし、本当に組織を前に進める基準は、社内にはありません。
あるとすれば、ただひとつ。
「いま、どちらを選んだら、お客様が喜ぶだろうか」です。
これは、社長のジレンマを超えて、社員全員がよりどころにできる“外向きの基準”です。お客様という存在は、組織の“求心力”になります。社内でどれだけ議論しても決まらなかったものが、お客様という外部の視点を入れた瞬間、スッと一本の線につながることがある。これは、仕組みでも、ルールでも、戦略でも解決できない、「お客さまを求心力にすることで生まれる知」 です。
3.「お客さま第一」は、なぜ形骸化するのか
多くの会社で、「お客さま第一」という言葉が掲げられています。この言葉に反対する人はいませんし、経営理念や行動指針としても、ごく自然に受け入れられています。にもかかわらず、日々の判断や意思決定の場面で、「いま、何を選んだらお客さまに喜んでいただけるか」という問いが、実際に使われているかというと、必ずしもそうではありません。
「お客さま第一」は、正しすぎる言葉です。正しすぎるがゆえに、問い直されることが少なくなります。たとえば、会議の場で「お客さま第一で行こうと思います」と言われたとき、それに対して「本当にそうですか」と問い返す人は、あまりいません。結果として、その言葉は共有されているにもかかわらず、具体的な判断の場面では、参照されないまま進んでいくことがあります。
言葉が共有されていることと、判断のよりどころになることは、必ずしも同じではありません。
では、実際の判断では、何が基準になっているのでしょうか。
現場を見ていると、次のような問いが、無意識のうちに使われていることが多いように感じます。
・社長はどう思うだろうか。
・役員は納得するだろうか。
・前例はあるだろうか。現場が回るだろうか。
・数字的に問題はないだろうか。
これらの問い自体が悪いわけではありません。業務執行の場面では、どれも必要な視点です。ただし、これらの問いだけで判断が完結してしまうと、判断基準はすべて「社内」に置かれることになります。その結果、お客さま第一を掲げながら、実際にはお客さまの視点が、判断の場から抜け落ちていく。これが、形骸化の始まりです。
◇言葉が「空語化」すると、学びが止まる
もう一つ、よく見られるのが、言葉が説明を終わらせてしまう現象です。
「うちは技術の○○と言われています」
「ホスピタリティには自信があります」
こうした言葉自体が、間違っているわけではありません。問題は、その言葉が使われた瞬間に、それ以上の問いが生まれなくなることです。その技術は、誰にとって価値があるのか。そのホスピタリティは、どんな場面で喜ばれているのか。こうした問いが立ち上がらないまま、言葉だけが繰り返されると、言葉は「空語」になっていきます。
ここで気をつけたいのは、お客さま第一が形骸化する理由を、個人の意識や姿勢の問題にしてしまうことです。
多くの場合、それは構造の問題です。
日々の業務では、効率やコスト、スピードが問われます。会議では、結論や方針が求められます。そうした場面で、お客さまの視点を毎回持ち出すことは、簡単ではありません。結果として、お客さま第一が「間違っている」わけではなく、思い出されなくなる。形骸化とは、言葉が否定されることではなく、参照されなくなることなのだと思います。
◇経営の本質は、誰かを喜ばせることにある
ここで、少し視点を引いてみます。経営とは、何のために行われているのでしょうか。
売上や利益は重要です。ただ、それらは目的というより、事業を続けるための条件に近いものです。経営の原点にあるのは、誰かに価値を届け、その結果として、自分たちも報われるという循環です。誰かを喜ばせることと、自分たちの喜びがつながっている状態。この循環があるから、仕事には誇りが生まれ、次の工夫や改善につながっていきます。
社内の正しさだけで判断し続けると、議論はどうしても内向きになります。どちらの意見が正しいか。誰の判断に従うべきか。そうした構図になると、理念はスローガンか、統制のための言葉になりがちです。
それを避けるために必要なのが、外向きの基準です。
「いま、何を選んだらお客さまに喜んでいただけるか」
この問いには、すぐに答えが出るとは限りません。むしろ、答えが出ないことも多い。それでも、この問いを判断の場に戻し続けることで、お客さま第一という考え方は、再び問いとして機能し始めます。
お客さま第一は、掲げることよりも、使い続けることのほうが難しい言葉です。だから、仕組みや会議、対話の中で、意識的に呼び戻す必要があります。
◇2035年ビジョンが極論になりがちな理由
最近、2035年ビジョンや2040年ビジョンを経営者のみなさんと一緒に考える仕事が増えています。長期ビジョンを描こうとする姿勢自体は、とても前向きで、意味のあることです。ただ、議論を聞いていて、少し気になることもあります。それは、「できるからやる」「儲かりそうだからやる」といった、自分都合の発想が、長期ビジョンの中に入り込んでしまうことです。
もちろん、実現可能性や費用対効果を考えることは大切です。事業として成立するか。投資に見合うか。リスクはどれくらいか。これらは、業務執行の場面では避けて通れない問いです。ただ、その問いに正面から答えようとしすぎたビジョンは、どこか窮屈で、慎重で、結果として「フォアキャスティング」になりがちです。できることの延長線。今ある強みの焼き直し。少し背伸びした程度の未来。
また、外部環境分析を見ていると、どうしてもリスク寄りの話が多くなります。市場縮小、競争激化、人材不足。どれも現実的で、無視できない話です。でも、それを「避ける」だけでは変化は生まれません。もちろん、破綻してしまえば、次がない。だからこそ、リスクを見る。そのうえで、この状況をどう捉えれば、お客さまを喜ばせることができるか「機会」を考える。
避けているのは未来という不確実性への不安です。その不安を避けるだけだから、自分都合になる。
長期ビジョンは、実行計画の完成度を競うものではありません。むしろ、「この会社は、何のために、誰のために存在し続けるのか」という問いを、何度も何度も立ち上げるためのものだと思います。極論でもいい。今はできなくていい。むしろ、できない前提でも構わない。その問いがあるからこそ、仕組みが生まれ、学びが積み重なり、次の一歩が見えてくるのです。
4.仕組み・仕掛け・仕切りで、経営を考える
ここまで、揺らぎや迷い、答えを急がないこと、経営に必要な問いについて書いてきました。ここでようやく、少し実務的な話となります。
私が現場でよく使う言葉に、仕組み・仕掛け・仕切りという三つの「仕」があります。これはフレームワークというより、建設的に「揺らぎ」を活かすための言葉です。
◇仕組みは、仕事を回すために必要なもの
まず、仕組み。仕組みがなければ、仕事は属人化します。判断は場当たり的になり、人によって成果にばらつきが出る。実際、仕組みがなくてうまくいっていない会社を、私は何度も見てきました。ルールがない。基準がない。誰の判断が正しいのか分からない。そうなると、日々の業務が回らなくなる。だから、仕組みは必要です。標準化や再現性は、一定の成果を出すための土台になります。
一方で、仕組みが整ったからといって、仕事に誇りが生まれるわけではありません。仕組み通りにやれば、それなりに回る。それなりの成果は出る。でも、そこに手応えや喜びがあるかというと、必ずしもそうではない。仕組みは、あくまで手段です。どこへ向かうのか。何のためにやっているのか。その方向づけがなければ、仕組みはすぐに形骸化します。
◇仕掛けは、揺らぎをつくるためのもの
そこで必要になるのが、仕掛けです。仕掛けとは、人を動かすためのイベントや制度、という意味ではありません。むしろ、当たり前を揺さぶるためのきっかけです。
・いつもと違う問いを投げる
・外の声に触れる
・あえて正解を示さない場をつくる
そうした仕掛けによって、人は考え始めます。そして、学びが生まれる。
よく、「仕組みがあると自由がなくなる」と言われます。一方、仕組み通りにやることは楽です。考えなくていい。判断しなくていい。でも同時に、仕組みがあるからこそ、何を変えるべきかが見えるという側面もあります。うまくいっている部分。うまくいっていない部分。それが可視化されるから、向き合うべきことが浮き彫りになる。仕組みは、仕掛けの土台でもあるのです。
◇仕切りは、経営の仕事に一番近い
そして三つ目が、仕切りです。仕切りとは、仕組みと仕掛けをいつ、どの程度、どう使うかを判断すること。これは、マニュアルには書けません。現場の空気。人の状態。タイミング。それらを見ながら、今は守るのか、今は揺さぶるのか。この判断は、まさに経営の仕事です。
仕切りがうまくいかないと、組織は極端に振れます。
・ルールで縛りすぎる
・逆に、放任する
どちらも、学びを止めてしまいます。
仕切りとは、どちらが正しいかを決めることではありません。いま、何を選ぶかを決めることです。
仕切りが難しくなる最大の理由は、判断基準が内向きになることです。
・社長の顔色
・役員の不安
・現場の都合
それらが基準になると、仕組みも仕掛けも、本来の意味を失います。だから私は、何度もこの問いに戻ります。
「いま、何を選んだらお客さまに喜んでいただけるか」
お客さま第一に、反対する人はいません。でも、本当に難しいのは、それを判断基準として使い続けることです。内向きの議論に引きずられそうなとき、外を向き直す。それができて初めて、仕組みは生き、仕掛けは効き、仕切りは意味を持ちます。
5.人は、潜在的に互いを賢くしあう能力を持っている
毎回、文集を書いていると、自分がどんな前提に立って経営や組織を見ているのかが、はっきりしてきます。今回も、結局は同じ言葉に立ち返っていると感じました。
「人は潜在的に互いを賢くしあう能力を持っている」
この言葉は、私にとっては、経営や組織を考える際の人間観の前提です。
◇人間観は、組織の設計に表れる
仕組みやルールは、中立的なものではありません。どんな人間観を前提にしているかによって、同じ仕組みでも意味が変わります。
たとえば、
・人は放っておくと間違える
・人は責任を与えないと動かない
・人は考えない
こうした前提に立てば、管理や統制を強める仕組みが必要になります。
一方で、
・人は学ぶ存在である
・人は関係性の中で理解を深める
・人は経験を通じて判断力を高める
と考えるなら、仕組みの役割は変わってきます。
仕組み・仕掛け・仕切りという考え方も、この人間観を前提にしています。私は、仕組みを、人を縛るためのものではなく、学習を支援するためのものだと捉えています。標準化やルールは、一定の成果を安定的に出すために必要です。同時に、どこがうまくいき、どこに違和感があるのかを可視化する役割も持っています。その可視化があるからこそ、改善や見直しが進みます。
一方、人が互いを賢くしあうためには、一定の揺らぎが不可欠です。
意見の違い。判断に迷う場面。うまくいかなかった経験。これらに向き合うのは、短期的には非効率に見えるかもしれません。しかし、そうした揺らぎがなければ、前提を問い直すことも、理解を深めることも起こりません。揺らぎを排除すると、組織は安定しますが、学習は止まります。
「主体性がない」「言われたことしかやらない」そうした評価が出てくる背景には、個人の能力の問題ではなく、経営の前提が関係しています。
どの程度まで任せるのか。どの場面で待つのか。どこで介入するのか。
こうした判断の積み重ねを通じて、経営者がどんな人間観を持っているか、組織に共有されていきます。
私は、コンサルティングという対話のなかで、答えを急がず、問いを残し、揺らぎを扱おうとしています。人は、適切な問いと経験があれば、互いに学び合い、判断の質を高めていくことができる。その可能性を前提にしなければ、仕組みも、施策も、やがて管理や統制に傾いていきます。
仕組み・仕掛け・仕切りが機能するかどうかは、テクニック以前に、この前提にかかっていると考えています。人は、一人では限界がある。しかし、関係性の中で、思考の幅を広げることができる。この前提に立つ限り、組織は、学び直す余地を持ち続けることができます。
6.揺らぎに耐える力は、経営理念への立ち返りから生まれる
仕組みは Learn (学ぶ)のための土台。しかし、それを Unlearn(手放す)する瞬間には、必ず“揺らぎ”が生まれます。
揺らぎを抱えた時間こそが、社員一人ひとりの創造性が生まれる起点です。
迷うことは無駄ではありません。迷いは、学びの入口です。
「どっちが正しいか」ではなく、「お客様はどちらを喜ぶか」を基準にしながら、揺らぎを抱えて進む。
そのプロセスが、仕組みと創造性をつなぎ、組織の学びを深くする。
この“外向きの基準”ともっとも強く結びつくのが「経営理念」です。
理念とは、社内の価値観の衝突を超えて、お客さまと組織をつなぐ“誓い”のようなものだからです。
経営理念という言葉には、どこか扱いづらさがあります。
とても大切だと言われる一方で、
「掲げているけれど、正直よく分からない」
「朝礼では読むけれど、仕事の判断には使われていない」
そんな声もよく耳にします。
理念が軽んじられているわけではありません。むしろ、多くの会社が「理念は大事だ」と思っている。
それでも、現場で生きた基準にならない。ここに、理念という存在の難しさがあります。
◇理念が機能しなくなる瞬間
理念がうまく機能しなくなるのは、それが「正解」として扱われ始めたときです。
・理念に照らして正しいか
・理念に反していないか
・理念に合っているかどうか
こうした問いは、一見するとまっとうです。
しかし、いつの間にか理念は「考えることを止めるための言葉」になってしまうことがあります。
・理念に合っているからOK。
・理念に合っていないからNG。
こうして理念が「決着をつける言葉」になると、そこには揺らぎも、学びも生まれません。
組織が成長する局面では、必ず「どっちが正しいか分からない状況」に直面します。
・安定を優先するべきか
・挑戦を優先するべきか
・効率を取るか
・学びの余地を残すか
こうした場面で、もし理念が「答え」を与えてしまったらどうなるでしょうか。
決断は早くなります。しかし、その分、学びは失われます。
だから私は、理念は答えを出すためのものではなく、問いを持ち続けるためのものだと考えています。
◇理念は「社内の矛盾」を学びに変えるためにある
社長と役員、現場と管理部門。立場が違えば、見えている景色も違います。どちらが正しいかを社内で決めようとすると、どうしても力関係や声の大きさが影響します。すると判断基準は、「誰が言ったか」へとすり替わっていきます。
ここで理念が果たせる役割は大きい。
理念が社内の価値観を束ねる旗になるのではなく、社内の価値観をいったん脇に置き、外を向き直すための軸になるとき、初めて意味を持ちます。
私が関わってきた現場で、組織が前に進む瞬間には、共通点があります。
それは、「どちらが正しいか」ではなく、「いま、何を選んだらお客さまに喜んでいただけるか」という問いに切り替わった瞬間です。理念がこの問いと結びついたとき、それは抽象的な言葉ではなく、判断のよりどころになります。
理念とは、「こうすべきだ」と指示する言葉ではなく、「誰のために、なぜやるのか」を何度も立ち返らせる言葉なのだと思います。
◇理念は、迷うためにある
理念が生きている組織では、「立ち止まること」が許されています。
・すぐに決めなくてもいい。
・一度立ち止まってもいい。
・考え直してもいい。
なぜなら、迷い続けるための拠り所があるからです。
逆に、理念が形骸化している組織では、「立ち止まること」は嫌われます。早く決めることが善とされ、揺らぎは無駄だと見なされます。その結果、仕組みは強化されても、誇りや創造性は育たなくなる。
理念を「浸透させよう」とすると、多くの場合、理念を分かりやすく説明し、行動指針に落とし込み、守らせようとします。それ自体が悪いわけではありません。ただ、それだけでは足りない。理念は、完成形を目指すものではなく、問い直され続ける存在です。現場での違和感や、お客様との対話や、うまくいかなかった経験を通じて、何度も揺さぶられ、意味が更新されていく。そのプロセスこそが、組織にとっての学びなのだと思います。
私は、経営理念の本当の役割は、決断を早めることではなく、決断できない時間に耐える力を支えることだと感じています。
・どちらが正しいか分からない。
・でも、問い続ける。
・外を向き続ける。
・お客様を基準に考え続ける。
その姿勢が、仕組みと創造性をつなぎ、人の誇りを育てていく。
理念は、会社を「正しくする」ためのものではありません。会社が迷いながら学び続けるための、大切な支点なのだと思います。