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ジョブ型かメンバーシップ型か ─『集中経営』の視点も手がかりに考える

知恵のバトン
2026.04.09

(弊社所属のコンサルタントによる長編コラム「KC文集2026」掲載記事)

■はじめに
企業を取り巻く経営環境は、以前にも増して大きく変化しています。市場の成熟、人口減少、人材の流動化、技術革新の加速など、いずれも個別には以前から指摘されてきた要素ですが、それらから以前に増して大きな影響を受けるようになりました。事業環境の不確実性も高まっています。その結果、多くの企業で「従来のやり方が通用しなくなっている」という実感が共有されるようになっています。

こうした環境変化の中で、人事制度も注目を集めています。人材の確保や定着も一層難しくなり、各人に求めるべき専門性の重要性が高まっています。その結果、「ジョブ型か、メンバーシップ型か」という問いが、人事制度をめぐる主要な論点のひとつに据えられることが増えています。経営者向けのセミナーや、人事責任者との対話など、多くの場面でこの問いが話題に上ります。私は日々経営コラムを執筆し発信していますが、「ジョブ型」「メンバーシップ型」のキーワードを含むコラムには多くの反応が寄せられています。

しかし私は、この問いにはある種の違和感も覚えます。それは、この問いが本来方法論であるはずの人事制度を、出発点のように扱ってしまっているのではないか、という違和感です。ジョブ型か、メンバーシップ型かという選択は、企業がどのような経営を志向し、どこに経営資源を集中しようとしているのか、その帰結として決まるものです。制度そのものが、経営の方向性を決めてくれるわけでもありません。

環境変化によって従来のやり方が通用しなくなっているなかで、人事制度が注目されるのは自然な流れですが、同時に、人事制度に過剰な期待が寄せられているようにも感じます。

人事制度の見直しは、経営のどの問題テーマに対する処方箋なのでしょうか。専門性の不足なのか、意思決定の遅さなのか、それとも事業の方向性そのものが定まっていないことなのか。問題の特定が曖昧なまま課題形成し、制度改革に着手すれば、制度は目的を失い、現場に混乱だけを残してしまいます。

私はこれまで、多くの企業で人事制度改革の現場に関わってきましたが、「人の問題」として語られている事象の多くが、実は「経営の問題」に起因していると感じています。自社がこれからどの事業に力を入れるのか、どこで勝とうとしているのか。その優先順位が明確でなければ、人材に何を期待しているのかも定まりません。その結果が、評価や配置への不満として表面化するのです。

今回のテーマについて、本稿では書籍『集中経営』の視点も参照しながら考察を試みます。昨年、書籍『集中経営』を弊社社員の新宅剛と共著で出版しました。集中経営とは、企業の成果を制約しているボトルネックを見極め、そこに経営資源を集中的に投下する考え方です。この視点に立てば、人事制度は、社会のトレンドを取り入れたり、全社一律の理想像を描いたりするためのものではなく、「経営の制約条件を突破するための手段」として位置づけ直されます。ジョブ型とメンバーシップ型を対立的に捉えるのではなく、それぞれがどのような経営状況で機能し得るのかの整理を試みます。

まず確認しておきたいのは、「ジョブ型か、メンバーシップ型か」という問いそのものが、必ずしも適切な問いとは限らないという点です。

■「ジョブ型か、メンバーシップ型か」という問いの危うさ
多くの議論では、「ジョブ型/メンバーシップ型」の二つが対立概念として扱われ、どちらが優れているのか、どちらが時代に合っているのかといった形で語られがちです。しかし、私は、「ジョブ型/メンバーシップ型」を二者択一の制度類型のように扱う議論に、注意が必要だと考えています。

第一に、「ジョブ型」「メンバーシップ型」という言葉の定義に無理があるのではないかと考えられます。なぜなら、「メンバーシップ型」という言葉が、しばしば社員の無限定配置の意味で使われる一方で、組織に属する以上は本来どの雇用でもメンバーシップは必要であり、両者の概念が混線しやすいからです。

ジョブ型雇用とは、ジョブ(職務の内容や役割)を職務記述書として明確に定め、そのジョブに対して人を採用・配置する雇用形態です。では、その対比として用いられやすい「メンバーシップ型雇用」とは、何を指すのでしょうか。雇用形態がどうであれ、ある会社で雇われて従業員として仕事をする以上、どんな人材でもその会社のメンバーであり、メンバーシップは求められるはずです。ジョブ型雇用の人材にメンバーシップが不要なわけではありませんし、正社員ではないパートやアルバイト雇用の人材、契約社員の人材にもメンバーシップは必要です。

ジョブ型雇用を選ぶ人材の中には、専門性を軸にキャリアを築いてきた分、職務境界の外側への関心が相対的に薄くなる方もいます。そのような人材の場合、「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」といった区分は、「メンバーシップの発揮」を「ジョブ志向」と相対する概念かのような印象を助長する可能性もあるかもしれません。

経営の視点としては、ジョブの価値によって対価も決めるジョブ型雇用制度を導入するのであれば、それと同時に、各人の仕事の仕方が部分最適にならず全体最適に向かうような文化づくりが求められるはずです。自社がこれまで蓄積してきた組織文化いかんによっては、新たな文化づくりというより文化革命と呼べるレベルになるかもしれません。

(なお、「メンバーシップ型雇用」という言葉は、勤務地や職務内容が無限定で、先に人材を確保して後から勤務地や仕事を割り当て、無限定に配置転換する雇用のあり方を一般的に指すことが多いようです。これを「メンバーシップ型」と呼ぶのは、上述の通り個人的にはあまり賛同しませんが、便宜上本稿においても、一般的に浸透している言葉である「メンバーシップ型」の雇用と呼ぶことにします。)

第二に、この問いは人事制度を過度に単純化しています。ジョブ型とメンバーシップ型は、それぞれが明確に切り分けられる純粋な制度類型でもありません。実際の企業では、多かれ少なかれ両方の要素が混在しています。それにもかかわらず、あたかもどちらか一方を選ばなければならないかのように議論が進むことで、現実との乖離が生まれやすくなります。

第三に、この問いは、人事制度を経営から切り離しがちです。ジョブ型かメンバーシップ型かを論じる際、しばしば制度の特徴や運用方法が中心になります。しかし、人事制度は単独で機能するものではありません。企業がどのような戦略をとり、どこに経営資源を集中しようとしているのか。その前提が共有されなければ、制度の良し悪しを判断することはできません。

実務の現場で経営者や人事責任者と対話していると、「ジョブ型を導入すべきでしょうか」「メンバーシップ型はもう限界でしょうか」といった質問を受けることがあります。こうした問いに対して、私は即答をすることはありません。それは答えを曖昧にしたいからではなく、その問いだけでは答えが成立しないからです。企業ごとに置かれた状況や、経営としての戦略や資源投入の優先順位が異なる以上、制度の是非も自ずと異なってきます。

にもかかわらず、制度論が先行してしまう背景には、経営を語ることの難しさがあるように思います。経営戦略や最優先の課題といったテーマは抽象度が高く、簡単に結論を出すことができません。一方で、人事制度は「導入するか、しないか」「変えるか、変えないか」といった形で、分かりやすい選択肢として提示しやすい。その結果、本来は経営の議論をすべき場面で、制度の話に置き換わってしまうわけです。

しかし、人事制度は万能ではありません。制度を変えるだけで組織が変わるわけでも、業績が向上するわけでもありません。むしろ、経営の軸が定まらないまま制度だけを変更すれば、現場の混乱や不信感を招くリスクが高まります。ジョブ型を導入したものの、肝心のジョブが定義しきれず、形だけが残ってしまった企業。メンバーシップ型を維持しながらも、育成や配置の思想が失われてしまった企業。こうした例は珍しくありません。

だからこそ、「ジョブ型か、メンバーシップ型か」という問いは、一度立ち止まって問い直される必要があります。本当に問うべきなのは、「自社は何に集中すべきなのか」「どの制約条件が、成果を妨げているのか」という、経営の根幹に関わる問いです。人事制度は、その問いに対する答えが定まった後に、初めて意味を持ちます。

■人事制度は経営戦略実現の「手段」である――まず因果関係を整える
人事制度をめぐる議論では、「どの制度が優れているのか」「どの制度が時代に合っているのか」といった比較が先行しがちです。しかし、こうした議論の多くは、ある重要な前提を置き去りにしています。それは、人事制度は経営戦略の目的ではなく、「手段のひとつ」であるという点です。

企業経営において、最初に問われるべきなのは、「自社はどこで勝とうとしているのか」「どこに経営資源を集中させるのか」という問いです。人事制度は、その問いに対する答えを、組織の日常に翻訳するための仕組みにすぎません。翻訳元である経営の方向性が曖昧なままでは、制度が機能しないのは当然のことです。

実務の現場では、「ジョブ型にすれば専門性が高まる」「メンバーシップ型だから人が育たない」といった言い方がよく聞かれます。しかし、専門性が高まるかどうか、人が育つかどうかは、制度そのものよりも、企業がどの領域に力を入れ、どの時間軸で人材を育てようとしているかによって左右されます。制度は、その意思決定を後押しする役割を果たすにすぎません。

逆に言えば、人事制度を変えても、経営の選択が変わらなければ、根本的には何も変わりません。制度改革は、しばしば「人の問題を解く万能薬」のように扱われがちですが、本来は違います。制度は、経営が定めた注力テーマを実行可能にする「手段」です。したがって、制度改革の出発点は「制度の比較」ではなく、「自社は何に集中すべきか」「どこがボトルネックか」という経営の問いに置かれるべきだと考えます。

■環境変化と発展段階――制度に「普遍の正解」はない
では、経営は何に集中すべきか。その問いを考える際に見落とせないのが、自社を取り巻く社内外の環境です。制度を議論するとき、私たちはつい「今流行っている正解」に飛びつきたくなります。しかし、人事制度に普遍的な正解というものはありません。置かれた環境が違えば、求められるマネジメントも、人材に期待する役割も変わるからです。

例えば、市場の発展段階の視点で考えてみます。成長性が高い市場では、「何をつくるか(What)」が競争力を決定づけます。革新や創造がテーマです。成長性が安定している市場では、「どうやるか(How)」が鍵になり、維持や改善が市場での競争力につながる主要テーマになることも多いでしょう。市場の成長性が低下し消滅すら視野に入る局面では、事業や自社の「何を捨て、何を再定義するか(What)」が問われます。どの段階でも「What」「How」のいずれも必要ですが、重要度の高さが変わるはずです。自ずと、各段階で有効となるマネジメント像も異なってくるはずです。

組織の発展段階も同様です。創業期からしばらくは、個人の裁量や熱量に依存しながらの経営になることでしょう。会社の使命に対してはもちろんのこと、経営者個人の事業観や仕事観に深く共鳴した少数精鋭の人材と共に、日夜会社のことを考え続けて日々駆け抜けていくことが、ほとんどの会社で必要なはずです。この段階で、制度の仕組み化や働き方の多様性などを過度に追求するのは、合理性があるとは言えません。その後会社が一定の軌道に乗り、拡大期にかけては、個人の裁量や熱量に依存しながらも、一定の仕組み化が必要になります。拡大期から成熟期に向かえば、組織内の多様性を束ね、組織活動の再現性を高めるためのルールがより重要になっていきます。成熟期から転換期に入れば、既存の延長線上ではなく、破壊と創造のエネルギーが求められるはずです。つまり、同じ会社でも、局面が変われば必要なマネジメントは変わるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

この「市場の発展段階×自社組織の発展段階」の掛け算で、適切な人材マネジメントの姿は変わります。ここで重要なのは、この掛け算が「一種類ではない」という点です。同じ商品・サービスの分類に入ると目される市場でも、創業50年の老舗企業と、何らかの独自の強みで新たに参入した新興企業とでは、市場の発展段階は同じでも組織の発展段階は異なります。同じ会社の中に、成長市場に向き合う事業もあれば、成熟市場で改善を積み重ねる事業もあり、さらには撤退判断が迫られる事業も併存しているかもしれません。組織の発展段階も同様で、創業期のように動く部門と、成熟期のように運営される部門が共存しているケースは珍しくありません。

こうした背景、及び制度は戦略実現のための手段だということを踏まえると、全社員一律に「ジョブ型にする/しない」と制度を決め打ちする議論が、現実から離れていそうだということが見えてくるのではないでしょうか。制度は、環境と段階を踏まえた調整対象であり、固定された信条ではないわけです。

■「ジョブ型かメンバーシップ型か」ではなく、制度の複線化という設計思想
ここで強調したいのは、ジョブ型かメンバーシップ型かを二者択一で全社一律に選択する必要はないという点です。むしろ、社員や職務、部門の性質に応じて「使い分ける」ほうが合理的であり、現実的です。

(あくまでも、各社が置かれた環境やビジネスモデル等によりますので、一概には言えないという前提で)さきほどの発展段階の構図で考えると、例えば、市場が安定的に成長し、かつ組織が拡大期から成熟期に向かっている企業の制度としては、ジョブ型が相性が良いかもしれません。社内に人材がたくさんいて、安定的に職務区分を作れて職務記述書が書きやすいためです。

職務の成果が比較的明確で、外部市場の相場も見えやすく、専門性の定義がしやすい領域では、そうでない領域に比べて、ジョブ型的な枠組みが機能しやすいと想定されます。逆に、職務の境界が変動しやすく、複数の仕事をまたいで成果が出る領域や、将来の事業や組織の中枢を担うことを期待され長期育成が前提となる人材については、職務を限定しすぎないメンバーシップ型的な制度のほうが適しているかもしれません。

重要なのは、「同じ会社の中に複数の人材ポートフォリオがあってよい」という発想です。つまりは、ジョブ型とメンバーシップ型とを併用する考え方です。言い換えれば、全社員一律の公平を追うのではなく、期待役割に応じた公平を設計する、ということです。

全社員に同じ制度を適用することが「公平」とは限りません。期待役割が異なるにもかかわらず同じ扱いをすることこそが、不公平を生む場合もあります。期待役割が異なるなら、扱いが異なるのはむしろ当然で、そこに合理性も見いだせます。

ただし、使い分けには満たすべき条件もあります。社員によって適用する制度を変えるなら、会社として例えば次の点を言語化しておく必要があります。

・どの職務領域や職種を専門的な成果を最大化するゾーンとして位置づけるのか
・どの職務領域や職種を将来の中枢人材を育てるゾーンとして位置づけるのか
・それぞれで、社員に何を期待し、何を支援し、何を評価するのか
・それぞれで、専門的な成果を最大化していった社員、将来の中枢人材となった社員は、仕事を通してどんな良いことを得られるのか
・適用する制度が違っても、会社として求めるべき共通の職能、価値観、協働のルールは何なのか

これらが曖昧なまま使い分けだけ導入すると、「なぜあの人はジョブ型で、私は違うのか」という不信を生みます。「制度を分ける」前に、経営として「思想を束ねる」ことが必要なわけです。

■【事例】社員が辞めていく要因は、評価・処遇ではなかった
書籍『集中経営』で【CASE1】として説明されている事例は、人事制度を考える際の典型的な落とし穴を示しています。ここでは、同事例の要点をご紹介いたします。(さらなる詳細に興味をもってくださった方は、よろしければ同書をご覧くだされば幸いです)

事例の企業は、とある機能を提供する製造業で、創業以来しばらくは堅調に業績を積み重ねてきました。しかし市場が飽和し、さらにスマートフォンの普及によって代替機能(アプリ等)が広がったことで、自社が提供する機能のうち特に低付加価値部分のシェアが浸食されていきます。

そこで起きた現象は、将来有望な若手社員が定期的に辞めていくことでした。次世代を担ってほしいと期待していた若手が、次の会社づくりを担う前に辞めてしまう。これは経営にとってたいへん痛い出来事です。当事者から退職理由として挙げられてきた「正当に評価されない」「評価制度に不満だ」という声を手がかりに、「評価制度が悪いのではないか」「処遇が不十分なのではないか」と同社が考えたのも自然な流れです。

しかし、このケースのポイントは評価の仕組みではありませんでした。評価制度を変えても状況は変わらなかった。なぜなら、社員が抱えていた根っこの問題は、「この会社で、自分の人生がどうなるのかが見えない」という不安だったからです。会社としてのビジョンが見えず、自分の将来像とつながらない。自分が担当している仕事が、長期的に会社の発展につながるのかも見えない。そうした不安が、「評価されない不満という表現」になって表れていただけでした。

そして、もうひとつ重要な点があります。同社は、低付加価値部分の浸食という環境変化を受けながらも、経営としてどこに集中して次のステージに進むのかを言語化しきれていませんでした。その結果、社員にとっては「何を頑張れば将来につながるのか」が見えない。これは、会社から本人に対する期待(MUST)と本人の志向(WILL)が重なりにくい状態を生み、離職を加速させます。人事制度を含めた制度改定では、このズレを埋める根本策にはならなかったのです。

そこで同社では、次世代経営者・経営陣が、会社や自分たちが将来的にどうありたいのか、すなわち「経営者の軸」の確立にまず集中して取り組むことにしました。次に、会社の将来ビジョンとビジョンに適う商品やサービスの再定義を行うことに集中的に向き合い、それを言語化することで「会社の方向付け」を明確にしました。次世代経営者・経営陣は、この会社の方向付けの言語化にあたっては社員の参画も促しました。次世代経営者・経営陣が自分自身、そして会社の将来に対してこれまでとは違った姿勢・切り口で熱心に向き合う取り組みを目の当たりにすることで、若手人材も会社の将来への希望を取り戻し、再び情熱をもって各人の仕事に向き合うようになりました。

同社が当時解消すべきだった会社のボトルネックは、「経営者の軸」や「会社の方向付け」の領域であり、その解決の方向性は人事制度の改定ではなかったわけです。結局、人事評価制度そのものは大きく改めずとも、会社が目指す道筋を言語化し、社員が「未来を見通せる」運用に変えることで、状況は動き始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから学べるのは、人事制度の課題に見えるものの多くが、実は経営の課題だということです。社員の離職という現象に対して、「制度を変える」という打ち手を取りたくなります。しかし、もしボトルネックが「経営の方向性の不明確さ」や「事業の集中不足」にあるなら、制度をジョブ型に改定するといったアプローチは、課題解決の本丸にはなりません。同ケースはそのことを示唆しています。

このように、社内でテーマとなる表面的な現象によって、問題がどこにあるか、解決策は何かを短絡的に判断するのではなく、真のボトルネックとなっていることを発見してそこを開放し、本質的な改善をすることが求められるのです。社員の離職という現象は、あくまで組織を変える必要があることに気づく事象、きっかけでしかありません。

■組織の中枢を担う人材は、ジョブ型だけでは育成・確保が難しい
組織の中枢を担う人材の育成について考えるとき、ジョブ型だけで完結させることの難しさが見えてきます。

ジョブ型は、職務と成果の対応関係が比較的明確な領域で力を発揮します。専門性の定義がしやすく、成果の測定もしやすく、外部市場からの調達も比較的可能な領域では、ジョブ型のメリットが出やすいでしょう。一方で、組織の中枢を担う人材、つまり将来の経営を担う候補者や、部門をまたいで全体最適を設計できる人材は、職務を限定したままでは育ちにくい、という現実があります。

なぜでしょうか。理由はシンプルで、経営やマネジメントの中枢に近づくほど、成果は単一職務では定義できなくなるからです。事業部長や幹部候補に求められるのは、専門技能だけではありません。複数の職務経験を通じて得られる視野の広さ、利害の異なる関係者を束ねる力、そして会社として何に集中すべきかを判断できる構想力です。自社の中で、複数の市場の発展段階や組織の発展段階を抱える会社であれば、なおさらです。これは、短期成果の積み上げだけでは育ちにくい領域です。

ここでメンバーシップ型の特徴が活きます。メンバーシップ型の本来の良さは、誰でも何でもやらせることではありません。会社が中長期で人材を育て、本人も「会社の中で幅を広げ、役割を変えながら成長する」ことを前提にできる点です。ジョブローテーションや育成会議、上司・人事の伴走によって、個人の経験資本を増やし、将来の中枢人材をつくっていく。これは、ジョブ型だけで完結させるのが難しい領域です。

もちろん、メンバーシップ型には弊害もあります。短期的な事業の生産性が失われたり、本人の自律性が弱まったりする可能性もあります。だからこそ重要なのは、メンバーシップ型を惰性で残すのではなく、「中枢人材を育てるための戦略的な仕組み」として再定義することです。

企業が本気で中枢人材を育てたいなら、ひとつの解として、メンバーシップ型的な関係性を残す、あるいはもっと進んで強化するという方向性が考えられます。そして同時に、専門領域の成果最大化が求められる部分ではジョブ型的な枠組みを採り入れる。つまり、会社の中で「人材の二層構造」を意識し、制度を使い分けることを現実解とするわけです。

長期雇用を前提にひとつの会社で経験を蓄積し、定年後に社外でも活躍する人材は少なくありません。ゼネラリストの育成を強化することを人事方針とし、新卒社員全員に一定の回数以上の配置転換を義務付けることで話題になる企業もあります。メンバーシップ型が、社外で通用する力の形成と必ずしも矛盾しないことを示す一例だと思います。

■「MUST・WILL・CAN」の重なりを促す制度設計
人事制度の理想は、社員一人ひとりにとって、「MUST」「WILL」「CAN」の三つが重なる状態を後押しすることです。

MUST:社会や会社から求められること(役割・責任・成果)
WILL:本人がやりたいこと(志向・価値観・興味)
CAN:本人ができること(能力・経験・強み)

三つが重なるほど、個人は自律的に動き、組織は強くなります。反対に、三つがバラバラだと、会社は管理を強めたくなり、個人は受け身になり、結果として成果も出にくくなります。制度設計の理想は、この重なりを命令や精神論でつくるのではなく、「仕組み」と「運用」で促すことです。

ここで大切なのは、制度を評価と報酬の仕組みに閉じないことです。人材マネジメントは、配置、育成、異動、キャリア面談、社内公募、学習機会、上司の関与、情報の透明性などを含む、広い意味での総体です。前述のCASE1のように、社員が不安を抱くのは「給料が低いから」ではなく、「将来が見えないから」かもしれません。そのとき必要となるのは、評価制度の改定ではなく、MUSTを明確にし、それを本人のWILLCANと接続する仕組みです。

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、次のような運用は、MUSTWILLCANの重なりを促します。

・会社としての集中領域(注力領域)を明確にし、そこで求める人材像を言語化する
・社員のWILLを吸い上げる場(面談、育成会議、社内公募など)を形だけの仕組みにせず、本質的な取り組みにする
CANを伸ばす機会(学習、経験、越境)を組織的に設計する
・これらを、評価・処遇だけでなく配置・育成と一体で語る

ジョブ型かメンバーシップ型かという議論も、この三つの輪をどう重ねるかという観点で捉え直すと、論点が整理されます。ジョブ型はMUSTの明確化に強みがあり、メンバーシップ型はCANの拡張に強みがあります。そしてWILLを重ねるには、組織文化や上司の関わりが不可欠です。制度は万能ではありませんが、重なりが生まれやすい土壌はつくることができます。

■集中経営の視点から見た制度の「使い分け」
ここで再び集中経営の話です。集中経営とは、成果を制約しているボトルネックを見極め、そこに経営資源を集中的に投下して突破する考え方です。この視点に立つと、人事制度は全社共通の正解を求める対象ではなくなります。

例えば、自社のボトルネックを生み出す主な要因が「特定の専門領域の供給力不足」にあるなら、その領域向けにジョブ型制度を追加で新設し、職務と成果を明確にして、外部も含めて人材調達と報酬設計を行う必要があるかもしれません。逆に、ボトルネック要因が「事業を束ねる中枢人材の不足」にあるなら、一部の人材向けにメンバーシップ型的な育成設計(経験の幅を広げる、視座を高める、越境させる)を強化すべきかもしれません。会社の中で、どこに集中し、何を突破するのか。その問いに答える過程で、結果的に制度は複線化するかもしれません。

ただし、制度を複線化するほど「運用能力」が問われます。制度が複雑だからうまくいかないのではなく、運用の背骨(経営の意思)が弱いからうまくいかない、ということが起こり得ます。そして、「文化」や「協働」も重要になります。外資系企業に勤める私の知人から、次のような示唆をいただいたことがあります。

「うちの会社は極めてジョブ型。ジョブの期待に応えられなかったり、ジョブ自体が社内で消滅したりした場合は、すぐに解雇の対象となる。ただし、社内の文化はドライではなくウェットである。上司と部下の面談では、上司は部下に対して仕事の目的を熱っぽく語り、かなり突っ込んだことまで部下から聞き出そうとする。職場に置かれたジョブ日誌には、各社員の熱っぽい書き込みが並ぶ。外資系企業=ドライだというイメージを持たれがちだが、実情は全然違う」

ジョブ型でもドライとは限らない、という指摘があるように、成果を出す鍵のひとつは、目的・目標に向かって協働を促す文化づくりです。

■おわりに――制度論を超えて、経営を問う(そして、社員に見える未来を届ける)
本稿では、「ジョブ型かメンバーシップ型か」という問いを、制度論としてではなく、経営論として捉え直してきました。繰り返しになりますが、人事制度は経営戦略の手段であり、経営の意思と覚悟を映し出す鏡です。制度を変えることは重要です。しかし制度の前に、経営として問うべきことがあります。

・自社は何に集中するのか
・いまの成果を制約しているボトルネックは何か
・その突破のために、各人材に何を期待するのか
・その期待は、社員のWILLCANとどう接続できるのか

改めて、本稿の内容をまとめます。
CASE1が示したように、社員は「評価制度が古いから」辞めるとは限りません。むしろ、「この会社で、自分の将来が見えない」「会社の未来が見えない」という不安が離職を生み、その不安が制度不満という形で表現されることがあります。だからこそ、経営の方向性を明確にし、社員が「自分の未来」と「会社の未来」を接続できる状態をつくることが、実は最も重要です。

全社一律でどちらかを選ぶ必要もありません。社員や職務、部門の性質に応じて、ジョブ型とメンバーシップ型を使い分けてもよい。そして、組織の中枢を担う人材については、メンバーシップ型的な育成の仕組みが不可欠になりやすい。さらに、制度は市場と組織の発展段階に応じて調整されるべきで、MUSTWILLCANの重なりを促す設計であることが理想です。

制度論を超えて経営を問う。
この順番を取り違えないことが、これからの人事制度を考える上での出発点になると、私は考えています。


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