会社の繁栄が、コンサルタントのお客さま第一
▲社員旅行の台湾にて。 一体感を持つための社内イベントが豊富にある。
大学卒業後は食品メーカーに勤務し、ホテルや飲食店を相手に業務用商材の営業を担当していた平野 薫。コンサルタントという仕事を知ったのは、手に職をつけるため何か資格をとろうと考えていたときのことでした。
平野 「直感的におもしろそうだと感じ、すぐにコンサルタントになろうと思いました。ただ当時は、人との出会いが食品業界の中に限られていたため、世間が狭いという自覚があったんです。そこで、まずは営業時代に利用していた企業の信用調査の会社に転職。経営の知識を学びながら、さまざまな企業の経営者と出会うことで経験を積みました」
コンサルタントとしてやっていく知識と自信をつけた平野は、エージェントから紹介を受けた小宮コンサルタンツのアットホームな雰囲気に引かれ入社を決断。コンサルタントとしての道を歩み始めました。平野のコンサルタントとしてのポリシーは「お客さま第一」。ただしコンサルタントになった当初は、同じ「お客さま第一」でも今とはまったく違う考え方だったと言います。
平野 「入社してしばらくしてから、後継者ゼミのある参加者とCEO小宮との面談に同席する機会があったんです。そのとき、その参加者は『うちの営業は、お客さまと仲が良いんですよ』と言ったんです。
すると小宮が『営業の仕事ってお客さまと仲良くなることじゃないですよ。僕のセミナーに来る人は、僕のことを嫌いな人もいる。だけどお金を払ってでも参加するのは、経営に役に立つからなんです。決して僕のことを好きで参加するわけじゃない』と。それを聞いたときは、私もドキッとしました」
平野自身メーカーの営業出身で、小宮コンサルタンツに入ってからも、お客さまと仲良くなることは大切だという感覚を持っていました。お酒の席ではお客さまを持ち上げ、夜遅くまで付き合いもしていました。
平野「でもそのときに、コンサルタントの仕事は、お客さまが嬉しくなることを言うことじゃないと思ったんです。コンサルタントにとってのお客さま第一は、やはりお客さまの会社を繁栄させることだと。
それからは自分の仕事のスタイルを変え、お客さまにとって必要なことをはっきり言うようにしました。経営者や役員にとって耳の痛い話も、お客さまの会社が繁栄するのであれば、むしろ言わなければならないという覚悟が、あのときできたと思うんです」
お客さまと仲良くしたいし、仲良くすることは悪いことではない。ただ、嫌なことでも会社の繁栄のためであれば躊躇せずに進言する。現在も平野は、自身が担当する取引先企業に対し、このスタイルを徹底して貫いています。
「この主力事業は、もうやめましょう」
▲地方の旅館を貸し切って実施した管理職向けの合宿。 寝食を共にすることで深い絆が生まれる。
会社の繁栄のためであれば、言いづらいこともはっきり言う。平野自身が考え方を変えてから、この仕事のスタイルが大きく奏功する出来事がありました。
あるメーカーでの話です。その会社は自分が担当するセミナーに参加されたご縁で平野が担当することになった会社。社員研修から始め、その後5Sや製品の歩留改善などプロジェクト的な仕事にも関わるようになり、少しずつ信頼関係を築いていました。
平野 「そうこうするうちに、社長と経営の本質的な話もするようになったんです。せっかくなので財務諸表など数字を全部見せてもらったのですが、かなり逼迫した状況でした。この業界は市場自体が年間2割落ち込んでおり、国内で有名だったこの会社も、売り場の縮小や販促物の発注減などで危機的状況に陥っていたんです」
メーカー側も、インバウンド需要を狙った商品開発など、打開策を打ち出していましたが、それで改善できる状況ではありません。「国内外総勢100人の雇用を維持するだけの力はもはや市場にはない」そう判断した平野は、社長に思い切った提案をします。
平野 「もうこの主力事業は辞めましょう。このままでは3年後に自己破産しますよ、とはっきり言いました。当時は新たな始めた事業が伸び始めていた時期で、これに賭けましょうと言ったんです。すると社長からは『ですよね』という反応が返ってきました。
市場の状況から、先がないのはみなさん感じていたんです。ただ、やはり経営者として雇用を守ることも重要だし、祖業をやめるという意思決定は、頭ではわかっていても、簡単にやれることではありません。ただそれを聞き入れてくれたのは、それまでの信頼関係があったからだと思っています」
2020年現在その会社は、業界において日本でトップクラスのメーカーになりました。社長は今でも「あのとき、平野さんに言われなければ、自己破産していたと思います」と言ってくださるそうです。
顧客から「来ないでください」とまで言われた会社
▲仕事中の平野
祖業を廃業し、新たな商品に賭ける。コンサルタントとしてそれを提言するためには、相当の覚悟とパワーが必要ですが、これまでの仕事のやり方を根本的に変えるときにも同様の覚悟とパワーが必要です。平野は根本的な業務改善でも言いづらいこともはっきり言うスタンスを貫き、会社の危機を救った経験を持ちます。
平野が担当していた卸売業の会社は、まさに日本の中小企業といった会社で、旧態依然とした営業スタイルが社員の疲弊を招いている状況でした。
平野 「社長とは長年のおつき合いで、何か困ったことがあると相談を受けていたんです。その会社の問題点は、当時の会長がまさに昭和の営業マンで、とにかく外に出て土下座してでも売ってこいというスタイルだったんです。社員はすごく疲弊していて、生産性も他社と比べて3分の2ぐらい。営業戦略というよりも、とにかく『買ってください』なので、お客さまからも、来られると迷惑だといわれるほどでした」
実際、業績も厳しく赤字続き。平野と社長が対策を練っても、少しでも数字が上がらなければ鶴の一声で、すべてが覆る状況。社員はとにかく目立たずに過ごすことが当たり前になってきていました。
平野「そんな状況が続いたある日、私は『こんなにお客さまのことも何も考えない会社では存続できないと思います』と社長にはっきり伝えました。すると社長が覚悟を決めてくれたんです。
企業としての使命ミッションと将来ビジョンを数カ月かけてふたりでまとめ、嘆願書をつくって会長に直談判に行きました。その場で社長は、怒鳴るぐらいの勢いで会社を任せてほしいと会長に迫り、一任を取りつけてくれたのです。そこから本格的な経営改革が始まりました」
平野は顧客分析から、全国展開している大手企業の取引先よりも、地元の中小と取引先で上げている利益が大きいとみるやメインターゲットをシフト。お客さまからのニーズが高かった情報提供や見積対応の迅速化に取り組み、既存の情報資源の活用や役割分担などを行い、直ちに改革が実践できる体制を整えていきました。
一方で、評価制度の改善や社員それぞれが持つノウハウの共有など社内の意識改革も実行していったのです。
平野 「2020年現在もまだ変革期ではありますが、お客さまからの評価もかなり変わってきています。また社内でも、社員みんなが発言するようになったのは大きな変化です。会社を悪くしたいと思う社員なんてどこにもいません。私の役割は、社員がそれぞれ持っている会社を良くしたいという想いに気づいてもらうこと。あくまで改革を進めるのは社員のみなさんであって、私はみなさんの背中を押すのが仕事だと思っています」
来世でもやりたいぐらいおもしろい仕事
▲チームリーダーの平野 薫