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歴史から感じる、硬直化しやすい日本社会とその対応策

知恵のバトン
2021.06.08

日本の歴史を振り返ると、一定の社会の制度や枠組み、慣行が成立すると、なかなかそこから抜け出るのが難しい民族だなと感じることがあります。

 

例えば江戸時代の武士階級。江戸時代の武士は生産活動を行わない階級として(ほぼ疑問もなく)260年間過ごしました。

 

武士は元々平安時代の荘園の管理人という役割を担ったこともあり、戦国時代前半までは農業生産を担いながら軍事力を持つ半士半農という形態が大半でした。その為、戦国時代には農業の繁忙期になると戦争ができない、という問題を抱えていました。

 

この問題を解決すべく、武士と農業の分離、いわゆる兵農分離を進めたのが革命児・織田信長でした。信長は武士と農民の役割を分ける事により、武士を年中戦える集団としました。その制度を承継した豊臣秀吉、徳川家康により天下が統一されます。

 

私は、兵農分離は年中戦争に対応できるようにする、という目的においては合理的な解決手段だったと思います。しかしながら、戦争が無い平和な社会になっても兵農分離を温存してしまった為、260年間もほぼ生産せず、支配するだけの階級を生み出してしまいました。

 

もっとも一部の本質を見抜く大名はこの問題を認識し、改革に取り組んだ例はありました。伊達政宗は江戸時代に入って早い段階で家臣達が支配地に分散して農業生産強化に努めることを奨励しています(実はこれが米どころ宮城の礎となっています)。上杉鷹山も武士階級が農業や工芸生産に関わることを奨励していました。しかしそのような例は決して主流ではなく、武士は生産もせず、被支配階級に寄生する存在として260年過ごしました。

 

しかしながら、こうした状態も幕末が近づくにつれ、内部・外部要因から限界となってきます。内部要因としては、武士階級の経済的破綻、具体的に言うと幕府・藩の財政破綻です。こうした問題に対して、武士としての面目にこだわらず殖産興業等で臨んだ長州・薩摩等の雄藩は、やがて幕末の政局の中心勢力となっていきます。

 

そして、限界となった最大の外部要因は、欧米諸国のアジア進出でした。日本自体が植民地となる恐れがあった国際環境の中で、国を富ませ、軍事力を強化する富国強兵に取り組む必要がありました。ここに至って何も生産しない武士階級の温存は許されず、明治維新を経て武士は消滅しました。

 

こうした歴史を振り返って本質を考えると、内外ともに危機感がない、また危機が迫っていない時代の日本の硬直性は非常に強いように感じます。

 

逆に、内外に危機感を感じる時の日本の変革ぶりは国際的にみても目を見張るものがあるように思います。こうした変革を続けている為には、内部の問題点や外部の変化に常に感度高くあることが必要だと感じます。


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