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上席者は「今の自分」を基準に部下を見過ぎてしまう

経営のヒント
2024.05.07

はじめに

人はともすると「今の自分」を判断基準に(今の自分を「是」として)、他人を評価しがちです。

卑近な例では、「今の若者は…。私が若い頃は…」という話があります。これは飲み会などで盛り上がる話題の1つではありますが、社内外の環境が大きく変わっているなかで、偏り過ぎた見方は生産的ではないかもしれません。よくよく話を聞くと、「時代が違う」も述べられるのですが、いざ「時代がどう変わったのでしょうか?」と訊くとなかなか答えにくい。曖昧がゆえに、(自分が自信の持てる)「今の自分」が判断基準に大きく入り込みやすくなります。

どんな現象なのか

さて、タイトルに書いた「現象」をもう少し見ていきますと、これは「上司が、部下の果たすべき役割や目標水準を高く見積り過ぎてしまうこと」にあたります。もっと言うと、部下は”本来的には”そこまで求められるべきではないにも関わらず、上司が今の自分の能力や今の役職での役割を基準に、部下(役職が下)が満たすべき能力や役割を見てしまう状況です。

背景には、かつてその役職にいた自分の能力や果たしてきた役割を忘れてしまっていることもあるでしょうし、上席者である自分を優位に位置づけようとする無意識の決めつけも大きいと思われます。

結果として、「部下はこのくらいできて当然。役職が求める役割・実績を果たせていない」「部下はまだまだ成長できていない」などの低めの評価となったり、部下の昇給・昇格に関する上層部への上申が控えられたりするかもしれません。

何が問題なのか

部下の能力・役割の目標像が「上席者の今の能力・役割による偏向(バイアス)がかかったもの」>「組織として本来、その部下の役職に求めるべきもの」になりがちだと、部下本人の観点では「役職水準を満たしていない」という不正確な評価となる恐れもでますし、組織の観点では人材の流動性や組織活性化の機会を損なう恐れもあります。

付け加えますと、評価の場面で上席者の偏向による影響が強く出過ぎると、同じ役職(肩書)でも、部門・部署間で評価結果がゆらぎ、引いては給与にも影響が出て、部下からは「同じ役職なのに、業務の難易度は違うし、社内での評価も違う」などの不満にもつながりかねません。

なぜ発生するのか、どうすれば発生回避できるのか

まずは、役職ごとの「社として期待する、個人の能力、業務上の役割、実績」を明確にすることが手始めかと思います。人事評価制度を整備されたところでは概ね明確になっていると感じますが、他方で、十分に整備されていないところも目にします。「部門・部署×役職」の大きな表形式で、期待するものを一覧整理するイメージです。明確にする際は、同じ役職であれば部門・部署横断でできるだけ基準を揃えるのが肝要ですが、特に実績面は業務内容が異なるほど揃えるのが難しいと思います。協議しながらすり合わせていくしかないと思われます。

次に、上記を明確にしたうえで、上席陣への「評価者としての教育」が両輪として重要と思います。昇格時に「評価者研修」を行っているところも多いですし、定期的な評価の場面では、暫定評価を持ち寄り、評価者同士が集まって「評価のすり合わせ会議」をなさっているところも多いですが、大事であり難しいのは、その協議テーブルに上げる「各部下の評価」での偏向(バイアス)をできるだけ減らしておくことと思います。

「アンコンシャスバイアス」(「無意識の偏見」などとも)という単語を聞いたことがあるかもしれません。これには様々な代表例があり、今回取り上げた事象もそれに関連したものです。こうした偏向は評価者自身が内にその存在に気が付き、対処法を自ら学ぶしかないのですが、極論たとえば、ある種の「ロールプレイ研修」として評価者自身が偏向のかかったやり取りを他人から受け、それを通じて「バイアスとは嫌なものだな、こういうものか」というのを身をもってあらためて気づくのも1つではないかと思います。


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