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幕末史に学ぶ専門人材の活かし方

経営のヒント
2024.04.18

筆者は611日に『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)を出版いたします。日本史上のリーダーをご紹介しながら、現代のリーダーがどのように取り組むべきかを考える内容となっています。
今回は、本書籍のなかでも取り上げた、幕末史に学ぶ専門人材の活かし方についてご紹介します。

江戸時代の末期、江戸幕府と長州藩(現在の山口県)は対立し、最終的には長州討伐(第1次1864年、第21866)という戦争に発展します。長州藩は大藩であったものの、諸藩を動員できる江戸幕府と戦うことは藩が滅亡するかもしれない危機だったのです。
この時、長州藩の指導者であった桂小五郎(明治後は木戸孝允、1833年~1877)は、軍事面の責任者として大村益次郎(1825年~1869)を抜擢します。これは当時にあっては大抜擢だったのです。

大村益次郎は元々はお医者さんで、大阪で緒方洪庵(1810年~1863)という名医が開いていた適塾で塾頭を務めるほどの秀才でした。その後、欧米の学問を幅広く学び、特に軍事技術については日本でトップクラスの専門家となっていたのです。まさに、大村益次郎は軍事技術の専門人材でした。
しかし、大村益次郎には短所がありました。それはコミュニケーション能力に難があり、まわりの人の反感を買うこともあったのです。また、武士ではなく医者の出身であったことも、軍事面の責任者とするには障害でした。

それでも桂小五郎は大村益次郎を武士にしたうえで、長州藩の軍事責任者に大抜擢したのです。そして、その能力を最大限発揮させるために、徹底的に支援したのです。また、コミュニケーションの問題なども、大村と周囲との関係に気を配るなど、終始サポートし続けました。
その結果、大村益次郎は軍事責任者として活躍でき、長州藩は江戸幕府に勝利し、最終的には江戸幕府は滅亡したのです。

現代においても、AIなどの新しい潮流に対応するため、専門人材の採用や活用が注目されています。しかし、こうした外部から来た専門人材は組織の既存メンバーと融合できなかったり、コミュニケーション能力に課題がある場合も少なくありません。
その時のリーダーのあり方について、幕末の桂小五郎から学ぶところは少なくありません。

まず、専門人材を活かすためには、能力を発揮しやすいポジションを与えたり、プロジェクトの責任者とすることがあります。こうした人事は、「この専門人材を中心に新規領域を進めていくんだ」というメッセージにもなります。

また、リーダー自身が専門人材とほかの社員との仲介役になることも大事なポイントです。ポジションを上げて責任者としたとしても、社歴が浅いことが多い専門人材から指示を受けることに抵抗がある既存社員も少なくありません。そのため、リーダー自身が専門人材と既存社員との間に入ることで、既存社員も動いてくれるようになります。

最後に、これは桂小五郎の事例にはありませんが、リーダーは専門人材に対しても、組織のなかでの振る舞い方やコミュニケーションなど改善すべき点についてはフィードバックすることが必要です。これは専門人材が更にステージアップしていくためにも大事な教育です。

今後、更に業務や技術が高度化するなかで、さらに専門人材が必要となってきます。これらの専門人材の活かし方を参考として頂ければと思います。


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