先日、久しぶりに東京駅前(丸の内側)にある丸善に立ち寄りました。30代前半の頃に足しげく通った書店です。一階の入り口を入ると昨今売れている書籍のコーナーや鉄板のビジネス書が隙間なく陳列されています。相変わらず刺激の多い空間です。売れているとされる書籍を手に取ってパラパラとめくると、想像力と創造力が増した気になれます。
10数年前、経営コンサルタントとして生きることを決めてからの最初の頃のお仕事に「営業力強化」がありました。B2C、B2B問わず、いまでも営業に関するご相談を頂くことが多いのですが、大切なことが見失われている場合が殆どです。何が大切なことか。
ビジネス界のエリート輩出機関と言えばハーバードビジネススクールが名前に上がります。そこでも長年体系的に教えられなかった教科に「営業」(セールス)があります。『なぜハーバードビジネススクールでは営業を教えないのか?』という書籍もあるほどです(プレジデント社刊)。本書では様々なトップセールスが紹介されていますが、結論はいくつかあります。本書の紹介では「営業という仕事は本来、優れた人がいちばん稼ぐことができる職業だ。頭でっかちのエリートは、そういう世界を本能的に恐れている。」と語ります。なぜ恐れるのかというと、あらゆる職業の内、“最も結果が分かりやすい”からだそうです。
営業こそ“人生”の経験工学である職業はありません。本屋に行くとハウツー本が並び、よく売れるのはトップセールスの伝記や売れるコツを語ったものが殆どです。しかし、営業の本質(成果をあげるために最も大切なこと)はスキルではありません。ご存知のように「売上」とは極論すれば「単価×販売数量」です。単価が低ければ数量を増やさなければなりません。その逆に単価が高くなれば、少ない数量でも同じ売上を達成できます。これはヘーゲルの弁証法でいうところの量と質の関係の原則です。量こそが質を高める唯一の道程です。そうしないとどうなるか。営業の質が低ければ沢山の断りとともに沢山の数量を販売しなければならないか、最悪は値引き競争に追い込まれるのです。(自ら勝手に必要以上に値引きする人まで現れます。)
「マネジメント」の親であるドラッカー先生は「マーケティングは販売(セールス)を不要にする」と語りました。究極、その境地には辿り着きたいものです。そのためにマーケティングとは「顧客の心を読もうとするのでなく、顧客自身から直接答えを得るべく意識して努力しなければならない。」(出典:『マネジメント-課題・責任・実践』)と断言します。これが営業の本質です。顧客と関係性を築くことも、商品・サービスがなぜあなたにとって最善の選択なのかを納得してもらうことも、すべてこの“顧客にとっての真実(一次情報)”を知覚することから始まります。傾聴のスキルも様々な話法もこのための手段に過ぎません。直接顧客に接することなく、その心を読める人を私は知りません。なのに、心を読もうとばかりしている。そんな会議をしていないでしょうか(二次情報や妄想で語られる会議がいかに多いことか!)。経営では次の視点も非常に重要です。販売を不要にできる会社は私の知る限り次の状態を維持向上させている顧客サービス企業です。再びドラッカーの至言を引用します。「マーケティングとは、企業の成果すなわち顧客の観点から見た企業そのものである。したがって、マーケティングに対する関心と責任は、企業のあらゆる分野に浸透させなければならない。」(出典:P.F.ドラッカー『マネジメント・上』)
最後にこれも私見の範囲ですが、トップセールスの共通点を3つ、敷衍したいと思います。
1.誰よりも学び続けている(もっと喜んでもらいたいから。或いは自分の人間としての質が試される職業であることを自覚しているから。最も学ばれているのは“伝える力”)
2.自社の商品とサービスを愛し、使命感とビジョンで自らを突き動かしている(責任を仕事の中心に据えている)⇒これが本当の“実行力”の源泉
3.自我を捨て奉仕(尽くす)の精神を基本姿勢にしている
年間200日ほど研修・講演をさせて頂いておりますが、トップセールスほど熱心に一字一句漏らすまいと食いついて学んでいる方はいません。故に、売れない人とトップセールスの人との差は日々開くばかりなのです。
全従業員が物心両面で幸福になることとは、全社員が営業(お客さまというファンづくり)という仕事をしているという自覚が大切です。つまり、お客さま第一という当たり前の実践の中にしか、働く仲間の幸せ(働きがい)もないということです。
熊田 潤一