子どもを塾へと迎えにいった帰り道、ふと「で? 勉強は好きになったの?」と聞いてみました。すると「勉強が好きというより、目標を決めて頑張ることが大事だと思えるようになった」という答えが返ってきました。我が子ながら天晴な答え。心の中で塾の先生に深く感謝を申し上げました。
学力よりもこうした力が芽生えているのが私としてはうれしく思いました。このような力のことを非認知能力といいます。学力のように点数にできるのが認知能力。点数にできないのが非認知能力です。もっと簡単に言えば、頭が良いよりも、心が善いということです。これからの時代、学ぶ目的は知識や情報を得ることではなく、心を高めることが重視されます。情報が簡単に得られて、AIが最適解らしきものを示すなかで、それらをどのように活かすのか、深く心で捉えて自分なりの解を見出す力が人生を豊かにするはずです。
「損得より先きに 善悪を考えよう」これは、雑誌『商業界』の創始者、倉本長治の言葉です。彼の『商訓五十抄』の一番最初に出てきます。損得は認知能力、善悪は非認知能力だと私は思います。お客さまを喜ばせるようとする思いやりの心が商売繁盛には不可欠です。自分都合で損得を考え、お客さまを欺くような商売は長続きしないでしょう。
ごく稀にではありますが「お客さま第一? 慈善事業じゃないんだから」とおっしゃる経営者に出くわします。事業はすべからく慈善事業のはずです。ただの金儲けの手段ではなく、自らの創意工夫で誰かに喜んでいただけることに喜びがあります。「ありがとう」という言葉をいただける尊い仕事です。
知合いの会社様でも、残念なことありました。納期に間に合わせようとして、不具合があるまま納品し、「後でメンテナンスに行ったときに部品を差し替えよう」といった判断がなされていました。お客さまを欺く行為です。そのような仕事を社員にさせないでほしいとお話ししました。本来、尊い喜びが得られるのが仕事です。こんな仕事をさせられたのでは、社員は誇りを持つことができません。
ここのところつくづく思うのは、経営は「心・技・体」が求められるということです。誰かの役に立とうとする心があり、そのために技を磨きます。ここでいう技は、商品やサービスをお客さまに届けるための技です。マーケティングとイノベーションが求められます。そして体。心と技でお客さまを喜ばせようとする行動習慣が身に着いているかどうかです。一人ひとりのその積み重ねが社風を形成します。
勉強同様にややもすると表面的な「技」ばかりに目が行きがちです。どれだけ効率よく身につけるかといった発想になります。それ自体を否定するつもりはありません。ただ、どのような心で技を身につけたいか、どのような仕事を“体”現したいのか、どんな自分たちでありたいのか。そのような理念を探求することが、経営者にとってもっとも大切でやりがいのある仕事だと思います。