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お盆に何を思うか ~生死(しょうじ)の一大事~

知恵のバトン
2021.08.10

東京オリンピックが幕を閉じました。

開催されるのかどうかも分からない中、国を背負い、或いは人生をかけての真剣勝負、その姿から私は勇気と感動を覚えました。特に印象的だったのは、アスリートたちが口々に競技の後、お世話になった人へ、或いはこのような場を与えて頂いたことに感謝の念を述べていたその姿。またボランティアの方々の献身な姿(特に笑顔)やこの様な未曽有の環境の中で世界に約束した「お・も・て・な・し」を体現しようとした関係者の方々、心からお疲れ様でしたと申し上げたい。実社会の諸問題に結びつける前に、そのものの姿から感じる情緒を大切にしたいものです。パラリンピックもまた然り。

 

五輪の閉会式では日本の民俗行事である盆踊りも披露されました。

このメルマガの読者の方々もこのお盆にお寺やお墓参りの機会があるのではないでしょうか。お盆は歴史的に解釈すればその成り立ちには2つの経路があります。

一つは仏教の教えから、もう一つは日本人の民俗信仰となります。

日本的なお盆の文化は後者に拠るところ大ですが、原典は仏教の「盂蘭盆経」です。

盂蘭盆(うらぼん)とはお釈迦様の教えに出てくるサンスクリット語に由来し、その意味は「倒懸(とうけん)」と言い、逆さまに吊るされた苦しみのことで、その苦しみを取り除く供養がお盆となります。お経の内容では、お釈迦様の弟子(目連)のお母さんがあろうことか我が子を大切にするが故に餓鬼道(慳貪、ケチ、人のものを奪おうとする欲の世界)に堕ちており、それ故に逆さに吊るされていたのです。詳しい内容は紙幅の関係上省きますが、教えとしては身勝手な自己中心的な考えを戒め、我が母だけではなく餓鬼道に落ちて苦しむすべての人たちのために施し(これを布施と言い、慈悲を与えるということ)をしなさい、という内容。その教えの通りにすると、お母さんのもとにも布施が行き渡り救われたことから、目連が嬉しさのあまり施餓鬼壇の周りを踊りまわったそうで、それが盆踊りの始まりとの伝えもあります。

いま私たちが「お盆」と言っているものは上記の仏教の教えというより民俗信仰としてのお盆になります。故に作法も時期も地域性豊かです。しかし一般には、祖先の霊が帰ってくるので追善供養をする期間だということで理解していると思います。

仏教の本来の教えからすれば、お盆とは我が家のご先祖様だけではなく、今自分が在ることすべてに感謝し、広く先人に感謝する機会ということになります。また、亡くなった方々に墓前で思い致すとき、いつかは自分もその死に至ることを意識することも大切です。ドイツの哲学者ハイデガーの言に「すべての人間は死すべきものであるという命題を抱えている」とあります。この命題は仏教の教えの目的である「生死の一大事」を知ることと符合します。生死の一大事とは人生で最も大切なことは「死」を真面目に自分事として捉えることを言います。すなわち、何のために生きるのか。この問いを真剣に解決すること、これが仏教の原点です。お盆を迎えるにあたってこの問いに改めて向き合いたいと思っています。


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