絵本作家のヨシタケ シンスケさんをご存じでしょうか。
今子供たちに人気の作家のひとりで、私が好きなタイトルのなかに、『りんごかもしれない』(ブロンズ新社、2013年)という空想絵本があります。
ある日、少年が学校から家に帰ってくるとテーブルの上に置いてある“りんご”と出会うところから話が始まります。
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テーブルの上にりんごがおいてあった。 ……でも、……もしかしたら、これはりんごじゃないかもしれない。もしかしたら、大きなサクランボのいちぶかもしれないし、心があるのかもしれない。実は、宇宙から落ちてきた小さな星なのかもしれない……
<出版社HPより転載>
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少年は様々に思いを巡らせ、ついには「そもそも なんで ここにあるんだろう。」という問いを立てたります。
読後は、自分の周りの世界がそれまでと違って見えてきたり、(前提を取っ払って)ゼロベースで物を考え、何かを新しく始めてみたりしたくなるので不思議です。よろしければご一読ください。
さて、この「かもしれない」。
将来を見据えたり、様々な選択肢を常に考えている社長や経営陣にとっては意識・無意識問わずお馴染みの発想だと思いますが、業務の現場でも大切な発想だと思います。
たとえば、
- もっと効率よく業務を進めるには、○○を変えたら/△△を導入したら、よい“かもしれない”
- トラブルの原因は○○“かもしれない”、△△のトラブルが起こる“かもしれない”
- KPIや業績が上がったのなら/下がったのなら、要因は○○”かもしれない”
- この傾向は続く“かもしれない”し、一過性“かもしれない”
- お客さまAさんからこんなことを聞いたから、○○にニーズがある“かもしれない”、Bさんにもニーズがある“かもしれない” など
経営陣の方々とお話していると、「会社の理念や行動指針などを伝えているが、社員がなかなか動いてくれない」「やりとりが一方通行なことが多く、下からの提案が少ない(もっと積極的にきてほしい)」などをしばしば伺います。社員自ら考え、動いていく「自律型人材」を求めておられるのだろうと推測します。
現実には、「自律的たれ」との掛け声や伝達ではなかなかそうはいかず、人が自律的に動くのは、本人の中に生まれる疑問や推測があればこそだと思います。
ではどうするか。
社内の至る所で「かもしれない会話」を使われるようにし、「かもしれない文化」を醸成してはどうでしょうか。ひとつには、より上席の方が率先して、この「かもしれない」を使ったコミュニケーションに意識して取り組むのです。
たとえば、
部下:「こういう状況でした」
上司:「どうしたらいい“かもしれない”と思う?」
部下:「……○○を△△したら良い“かもしれない”です」
上司:「それはいいね。でも、□□をしてもいい“かもしれない”」
部下:「それもいい“かもしれない”です。もう少し調べてみます」 など
今は、外部環境の変化も早く、原因の複雑化や選択肢の多様化などもあり、あまり検討せずに何かを決めつけて事に当たることは経営のリスク(脅威を見過ごす、機会を逃す)になり得ます。社長や経営陣、管理職もすべてを見通せているわけではありません。
先の人材育成のみならず、社員を巻き込み、衆知を集めて経営・業務に当たるためにも、この「かもしれない」をもっと身近に使っていってみてはどうでしょうか。