「ゆるい組織」になっていませんか? | コンサルタントコラム | 中堅・中小企業向け経営コンサルティングの小宮コンサルタンツ
loginKC会員専用お問い合わせ

コンサルタントコラム

ホームchevron_rightコンサルタントコラムchevron_right「ゆるい組織」になっていませんか?

「ゆるい組織」になっていませんか?

経営のヒント
2022.09.02

昨今、「ゆるブラック企業」(日経ビジネス202111月特集記事)という、働きがいが感じられない組織の実態についての話題を耳にします。確かにコンサルティングやリーダー育成の現場でも、「ゆるい組織」が増殖傾向にあることを実感します。これは私の評価ではなく、各組織のリーダー自身が「ゆるい」と評価しているのです。

ここで申し上げる「ゆるい組織」とは、私の定義では、組織内の人間同士の関係性は良く心理的に安全ではあるものの、仕事の基準が低い(例えば目標設定のレベルが低い、チャレンジを求めない、失敗を過度に恐れる、そして若手をガラス細工のように扱うなど)という状態の組織を表します。つまり切磋琢磨する、学習し高め合う、苦労と困難を受け入れ共に乗り越える、そうした組織にはなっていないということです。国の統計を見ても働き方改革によって確かに「働きやすさ」には改善が観られます。労働時間も総じて減り、有給休暇取得率は1984年以来最高となる56.3%とのことです。このこと自体は大変良いことです。一方、前掲の日経ビジネスの記事では「働きがい」は働きやすさに比べて急速に下落していることが見て取れます。

 

今日、世界は確かに混迷の度合いを強めています。

しかし、足元に目を移してその基は何かと問われれば、個人の混迷なのではないでしょうか。

「修身斉家治国平天下」、と『大学』にも書いてあるように、世の中をより良くしてゆく基は自立した個人の“世のため人のために尽くそう”とする「修身」です。長年リーダー育成をご支援する中で、自分自身のリーダー像や、組織のあり方に悩まれている個人と向き合う機会が増えています。

社長をはじめ、リーダーの存在する条件はそこに「組織」が在ることです。そして企業における組織とは端的に言えば社会をより良くしてゆくために存在するという命題からは逃れられず、社会の公器としての機能を果たすことが所与の条件となります。つまり、社会とは、国家とは、人間とは等、そこには哲学・価値観を伴います。そこに存在するリーダー及び組織がいま、迷いの中にあるとすれば、それはやり方よりも“あり方”といった哲学の欠如なのかもしれません。あっても実践されないのは無いのと同じです。

 

今年412日の日本経済新聞朝刊では「社員のやる気、数字で見せる」「人的資本こそ競争力、日本企業に伸びしろ」との記事が掲載されました。例えば味の素では、次世代リーダー育成の研修に一人あたり88万円という人財投資額を、三井化学では後継者準備率として後継者候補数÷重要ポジション数で表示し(2020年度は226%とのこと)、ESG経営のSの部分に含まれる会計上では見えない人的資本の価値や競争力を指標として公開する動きが強まっています。私の現場感覚では、組織も個人もそろそろ自立した人間性の回復を目指すべきでは感じています。つまり、個人の「何のために生きるのか」という自覚から組織は促さなければならないということです。スキルだけに投資しても困難は極まると感じます。

 

そもそもの組織の話に戻します。組織はなぜ生まれ、必要とされるのでしょう。

社会を良きものにする、そのためにお客さまに喜んで頂く商品・サービスを提供する、そのことで働く喜びを感じ、関わる人々を幸せにする。そしてその結果の高収益。その頂いた利益を基にさらに社会に貢献する。端的に言えばこれが理想です。弊社の信じる経営哲学でもあります。

 

ここに一つの真実があります。上記のことを仕事として行うのは人間です。しかし、ただの人間ではありません。その実践と実現の主体は「熱意ある人間」だけです。どれだけの個人の強みを持っていようとも、熱意が無ければならない。これは松下幸之助さん、そして先日惜しくも鬼籍に入られた稲盛和夫さんの一貫した遺訓でもあります。そしてその熱意の根底には「人に喜んでもらいたい」「世の中をより良くしたい」という社会的使命が在ることが前提となります。この根源が「修身」です。さすれば自ずと“一人では成し得ない”大きな目的と目標が眼前に現れます。そこで必要とされるのが組織(organization)です。

 

組織が組織である条件は、個人と個人の間に共通の目的と価値観が存在することです。これが組織であることの第一の条件です。つまり自由主義だから何でもあり、ではないということです。それ以外はただの集団(mass)であり、日本語では烏合の衆とも表現されます。規律の中の自由、この事こそが決定的に重要です。目的と価値観だけが組織を束ねる求心力です。ドラッカー教授の言うように誰が正しいかではなく「何が」正しいかを問うことです。

しかし、明文化された目的があっても混迷は極まります。組織共通の「何のために」を求心力とした関係性が薄弱化しています。社内にその側面がないか、この状態を私は“目的格差”という尺度で観ています。高い目標があっても働きがいに直接つながる共通の目的・価値観が欠如していれば、それはただの冷たい組織、数字目標だけが高ければキツイ組織です。

 

かつて明治時代の後期、同じく混迷の時代、福沢諭吉や頭山満(西郷南洲思想の継承者)は異口同音に、個人の「自主独立」を謳いました。現代で言う利己的な個人主義とは対極の「私こそ公なり」という哲学です。

もともと熱意ある人間の集まりであったはずの組織。皆さんはこれからの組織を、どのような社会の公器にしたいですか。そこにある公のための目的・価値観を共通のものとする具体的な努力が強くリーダー、そして組織に求められているのではないでしょうか。その手段は対話を通じた知覚によるコミュニケーションしかありません。その愚直な努力から目を背けない組織であることがゆるさからの脱却を成すと信じます。


お問い合わせCONTACT US

コンサルティング、セミナー、KC会員についてなど、
お気軽にご相談ください。