月刊「致知」の1月号に出てきた言葉です。
経営破綻したJALの再生期に社長としてリーダーシップを発揮した大西賢さんと稲盛和夫さんの側近でJAL社員の意識改革に取り組んだ大田嘉仁さんの対談の中に出てきました。
大西さんは、冒頭、稲盛さんの訃報のことを振返りながら語っています。
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私は少し前まで、稲盛さんをはじめJALの再建でお世話になった方々に恩返しをするんだとよく言っていたんですね。でも、最近は恩返しではなくて、いただいた恩を次の人に「恩送り」をしなければいけないと思うようになっていました。稲盛さんの訃報に接し、その思いがより強くなったんです。
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「恩送り」とは、自分自身が今この世に存在していること、生かされていること自体に感謝をして、その思いを次世代につないでいくことです。稲盛和夫さんが説いた「利他の心」の本質そのものだと思います。
ところが、私たちは、便利な経済活動の中で「交換」というものに慣れすぎてしまっています。結果として、誰かに返さないとならない、あるいは、見返りがあるものと思ってしまうところがあります。
JALの幹部たちは、当初、稲盛さんの進め方に懐疑的でした。特にリーダーの意識改革についてです。そんなことをしている暇があるのだろうか、再生に向けたプログラムの実行に注力すべきではないのか、という意見がでてきます。
確かに、再生計画を実行に移せば立て直すことはできるのでしょう。問題はその後です。JALを本当の意味で変えていかなくてはらならない。これまでのやり方を捨てて、新しく始めていくのは当の幹部たちです。
しかし、自分事になっていない。どこか被害者になろうとしていました。
再生には、大変な努力が必要です。そして、その努力の結果、何が返ってくるか分からない。だから、取り組みに意味があるのかと考えてしまう。つまり、「交換」による思考停止です。何かをすれば、何かが得られるものだという囚われに気づいていません。
本来、意味は見出すものです。そして、私たちは意味を見出そうとする存在です。そのことを信じて、思いを伝え続けたのが、稲盛さんだったのだと思います。その過程でJALフィロソフィーが生まれ、何のためにJALがあるのか、自分の仕事が誰のどんな役に立つのかを考える組織へと再生していきました。
稲盛さんは、この時、無給でJAL再生に取り組みました。私心なく、次の世代のために「恩送り」をしていたのです。あらためてその姿勢に学びたいという大西さんの言葉が、深く心に響きました。