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「建設的相互作用」:新しい視点を見つけ、共感と進化を促す方法

経営のヒント
2023.10.12

よく、「建設的に話しあおう」という言葉が使われます。誰かひとりが一方的に主張して、他の人の意見を聴かない、声の大きな人の話が優先される、などよく聞く問題です。

誰もが「建設的」であることが大切なことは知っています。声の大きいあの人も建設的なつもりではいるかもしれません。ただ声の小さい人は、建設的でしょうか。議論に参加していないという点で本質的には変わらないのかもしれません。

私たちが「建設的」という言葉を使うのは、「声の大きい人」という表現にあるように、一方的に自分の主張だけが繰り返されるときです。とはいえ、声の大きい人もその人なりの価値基準で「この方が良い」と言ってはいるわけです。つまり、本人的には前に進めようとしてはいます。

ドラッカーは、著書「経営者の条件」の中でこう述べています。

決定において最も重要なことは、意見の不一致が存在しないときには決定を行うべきではないということである。

その場を丸く収めようとすると、本質的な問題が解決しないままになります。いわゆる「集団浅慮」に陥ってしまうわけです。

ドラッカーはさらにこう述べています。

明らかに間違った結論に達している人は、自分とは違う現実を見、違う問題に気づいているに違いないと考えるべきである。もしその意見が知的で合理的であるとするならば、彼はどのような現実を見ているのかを考えなければならない。

議論が建設的でないとするならば、声の大きい、小さいといったコミュニケーションのあり方だけに焦点をあてても解決しません。参加しているそれぞれが「自分とは違った視点」に立てるかどうかを基準に考えることがもっとも大切です。物理的に建物を建てる「建設」においても、支点が一つではダメですよね。すぐに倒れてしまいます。

議論が建設的に進む場合は、ホワイトボードなどで、考えや議論の過程が可視化されていることが多いです。ふせんなどを使った場合も同様です。「声が大きくない人の意見もでてくるから」というのがその一般的な解釈だと思います。

ただ、私はもう少し踏み込んで捉えています。それは、「それぞれが違った視点に立つことが物理的に起こるから」です。ふせんにそれぞれがアイディアを書いて、壁に貼り、グルーピングをしたりしますよね。そのとき、「同じような意見」をまとめるわけですが、ちょっとずつ違った解釈があることに気づきます。物理的にふせんを動かしながら話し合うので、結果として、自分とは違うところに目が向くわけです。

「ちょっと違うんだけどなあ」と言いながら誰かがふせんを動かすと、動かした結果、また違った解釈が生まれます。動かしている本人の解釈と見ている人の解釈は、異なります。そこで、今度は見ていた人がふせんを動かしたりします。結果として、「操作する人」と「観察する人」という役割が自然と生まれ、役割の交代も頻繁に起きます。そのことによって、参加しているそれぞれが、自分なりに「最初より深化した私の理解」を得られるのです。これは、自分の考えを違う視点から見直すことによって起きます。このような状態を、認知科学者の三宅なほみ先生は「建設的相互作用」と呼んでいます。

意思決定場面において、全員がまったく同じ「私たちの理解」を得ると考えるのか、それとも、それぞれが自分なりの「最初より深化した私の理解」を得られると考えるのか、ここに大きな違いがあります。

「前者に決まっているじゃないか」と考えがちですが、一人ひとり価値観の異なる私たちが、まったく同じ理解になることはあり得ません。無理に合わせようとするから、組織が硬直し、一人ひとりの考えも硬直し、進歩が止まるのです。

社員が自ら考えようとしないと嘆く経営者は多いです。そこには、「私の考えるようにしてくれない」という隠れた前提があります。だとすれば、経営者自身が思考停止に陥っているのかもしれません。

素直に謙虚になれているか、大事な意思決定の場面で自問したいところです。


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