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しなやかマインドセットと素直さ謙虚さ

経営のヒント
2021.10.29

最近、『マインドセット、「やればできる!」の研究』という本を読みました。

この本で語られているのは、しなやかマインドセットの重要性です。

 

 

しなやかマインドセットとは、簡単に言うと人間はいつでもいくらでも成長できると言う信条を持っていることです。この対極のマインドセットとして提示されているのは、硬直マインドセットと言うものです。

硬直マインドセットとは、人間は持って生まれた才能というものがあり、これ以上は基本的に成長することはない。という考え方です。

 

 

硬直マインドセットの人は、自分自身の能力や才能をほめたたえられたい、それを示せることに興味をしめす。
逆に失敗を恐れるため、そのようなチャレンジを積極的には行わない。失敗はゆるされない、失敗をさける動きをし、自分は完成品と思っているということです。

例えば、子供の勉強で言えばテストで良い点数をとって自分の有能さを示すことに興味があり、解けないような難しい問題をやろうとしないスタンスなどもこの硬直マインドセットに回答するでしょう。
経営においても同じことが言えるかもしれません。失敗を恐れて新しいことにチャレンジしない姿勢は、硬直マインドセットの経営と言えるかもしれません。

 

 

書籍の中には、学校教育において、しなやかマインドセットの教師と、人の才能はあらかじめ決まっていると言う前提に立つ硬直マインドセットの教師が教えたクラスの成績がどのようになったかと言う記載がありました。
しなやかマインドセットの教師は、人は誰でも成長できると言う心情に基づいて教育をします
結果としては皆さんも予想されるかもしれませんが、しなやかマインドの教師に教わると、生徒の成績があがったということです。人は生まれながらにして才能が固定されているという扱いで接すると、本当に才能や能力が制限されてしまいます。

 

 

よく子育ての本などで、子供の能力を褒めるのではなく努力やプロセスを褒めると良いと言うような記載を目にします。(私も子育て世代なので結構この手の本は読んでいます。)
例えば、足が速いね、問題が解くのが早いね、とかそのような褒め方をすると逆に足が遅くなったら褒められない、問題を解くのが遅くなると褒められないと言う感覚になってしまうそうです。
そうすると、そのようなリスクにさらされる場を恐れてしまうようになってしまうと言うことのようです。

まさに経営においても同じことが言えるでしょう。

 

 

経営者やマネージャーが、メンバーや社員さん達を能力が決まったものだとして硬直マインドセットで接してしまうとその通りになってしまう。一方で、人の能力はいつでもいかようにも伸ばすことができると言う前提に立てば、メンバーや社員さん達のパフォーマンスも変わったものになってくるでしょう
努力やプロセスを評価し、才能や能力については認識しつつも言及しない、そしてすべてのメンバーに対してしなやかマインドセットで成長を期待する。このスタンスが、人材育成においてはとても重要なのだと認識しました。

 

 

KCクラブに参加いただいている皆さまは、学ぶ意識が高くおそらくしなやかマインドをお持ちの事と思います。
でも身の回りに硬直マインドを持って損をしている社員さんや友人、家族などいらっしゃいませんか?

硬直マインドセットからしなやかマインドになるためには何が必要なのでしょうか。
私は、松下幸之助さんがおっしゃられている素直さこそ、このしなやかマインドにつながっているのではないかと思います。

 

 

また、稲盛和夫さんさんがおっしゃることとしては才能や能力は、天からの預かりものでしかない、ということです。天から預かったものがよいものかどうか、ということにこだわって硬直マインドセットで生きていくよりも、その預かりものを活かしてどれだけ世の中に貢献できるか、ということに集中することによって自然にしなやかマインドになっていくのではないかと思うのです。

 

 

そうはいっても稲盛さんの域に到達するのは相当難しいですから、すこしでも自分の才能や能力は自分という人格と切り離されたものであり、人格そのものにフォーカスするというスタンスが必要かもしれません。

また、政治哲学的なアプローチで言えば、マイケル・サンデルさんの「これから正義の話をしよう」においては
マイケルジョーダンが大金を稼ぐのは妥当か?ということで、自分の持っている才能は本当に自分に帰属するものなのか、というリバタリアニズムとの関連で記載がありました。

 

 

才能や努力する才能、これを自分に帰属するものとすれば、そこから生まれた富は自分が得ることが当然、ということになります。
一方で、天から与えられたものなのであれば、そこから生み出された富は誰がえるのが妥当かと言うことになります。

 

 

今の自民党が、岸田政権が新しい資本主義と言っています。この新しい資本主義とは、才能や能力を自分に帰属するとした自由競争による格差拡大を是正しようとしています。難しい点としては、その才能や能力が何に帰属するかどうかは置いておいたとして、その才能や能力を持っている人が、その才能や能力を全力で発揮し付加価値を生み出す必要があると言うことです。

 

 

才能や能力を持った人は、本当にその才能や能力が自分自身に帰属しその富が自分自身に分配される割合が多くなければやる気を出さないのか、そこは議論が必要でしょう。必ずしもこのような人たちが、自分自身に配分される割合が多くなければやる気をなくしてしまうと言う前提に立つ必要は無いのだと思います。一方で、その分配があまりにも少なければその人たちが全力を出して付加価値を生み出すことになかなか期待できないのかもしれません。

 

 

才能や能力を持った人が、素直で謙虚な気持ちを持ちその才能や能力が天からの預かり物であると言うマインドセットになったならば、もっと日本の付加価値や分配は適正化されていくのかもしれません。

やはり、様々な古典で言われているように才能や能力よりも人格や考え方が先に来るのだとこのようなことからも改めて認識させられる次第です。

正しい努力の積み重ねをしながら、古典も含めて人格を磨きつつしなやかなマインドセットで生きていきたいものですね。


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