過去を回復しなければ未来は開けない | コンサルタントコラム | 中堅・中小企業向け経営コンサルティングの小宮コンサルタンツ
loginKC会員専用お問い合わせ

コンサルタントコラム

ホームchevron_rightコンサルタントコラムchevron_right過去を回復しなければ未来は開けない

過去を回復しなければ未来は開けない

今週の「言葉」
2023.04.28

-安岡正篤『活学 第一編 人となるために』より

 

今週の「言葉」は、我が国がいまだ戦後の暗闇から抜け出せていない混迷の最中に、未来を開くために安岡正篤先生が示された珠玉の薫陶の数々を収めた講義録である『活学』(致知出版社)よりご紹介します。

 

先ずは自己をつくることが肝腎
私たちの国・社会をざっと戦後78年眺めてみても、先行き不透明、あるいは混迷・混乱の最中にある、そう毎年のご挨拶のように謳われてきました。要すれば、この世はこれまでもこれからも諸行無常であるということです。ただしかし、VUCAと言われるいま、さかのぼっていま以上に先行き不透明、国家の独立すら不確実であった時代と言えば、まさに昭和20年8月から始まる戦後の10年間ではないでしょうか。その時代に未来を開く端緒は、今も昔もやはり個人一人ひとりの修身・修養からとなります。安岡先生の薫陶に拠れば、学問・教育の最も根本的な意義は、人間をつくる、自己をつくるということであり、こと混迷の中にあっては、まず“人間の回復”が最重要の根本問題となると説かれています。

 

デジタルは“人間の回復”にどう貢献するか
安岡先生は、戦後しばらくの教育状況を観て、次のように語っています。
「今日の一般学問・教育のというものは、自己教育とか家庭教育とかいうものがなくなってしまいました。人間の魂と魂が触れ合って、火花を散らすような個人教育・人間教育などというものがなくなってしまって、(中略)まるで大工場で物品の粗製乱造をやっておるような教育になってしまいました。こういう教育をやっておると、物品の様な人間は沢山出来るでしょうが、本当の意味の人物というものが養われる筈がない。」
数年に一度、IT革命とか、DXとか、手段が目的化されるような革命論が喧伝されますが、人間不在、理念不在の枝葉末節の取り組みでは付加価値の創造に繋がりません。

 

先哲・古典に学ぶ意義
また、安岡先生は『論語』の「利にとりて行えば怨み多し」の言を引き次のように続けます。
「経済成長率何パーセントだの、所得倍増だの、というようなことはみなこれ利であります。そういうことを主眼にしてやってゆけば、その結果はどうです。」とその後のバブル崩壊、長期デフレによる日本経済の停滞と中小・大企業の凋落ぶりを予見していました。そしてこれはすでに『論語』はじめ、古典に先哲が遺してくれていると結論づけます。『礼記』には「財を先にして礼を後にすれば民むさぼる(利)」とあります。
いつの時代も未来を開くのは、“自分という人間をいかに正しくするか”“人間の人間たる意義・価値”というものはどこにあるのか。そうした根本を徹底的に省察した人物であるということです。いま流にいえば、アイデンティティ、自分のルーツ、使命を明らかにすることです。改めて自戒を込めて修身に努めたいと思うのです。

 

現在は過去の終わりであると共に、未来の始まり
時代を貫く原理原則を「経」と言います。これを未来に貫くにおいて安岡先生は次のように示唆を下さっています。以下、本書からの抄録をもって稿を閉じたいと思います。
「論語に『終りを慎み遠きを追えば、民の徳・厚に帰す』という名言があります。人間は堕落すると必ず刹那的になるが、少しく本気になって(修身によって)自覚が出来てくると、必ず現在の時点において過去を回復し、未来を考えるようになります。『つまり終りを慎んでその遠きを追うと、必ず将来の世界を創造する力が生まれてくる。』これが所謂徳が厚くなるということであります。」(『活学』216~217頁)と。徳とは仁・義・礼の実践によって厚くなりますが、この徳こそが未来を開く根源であること、改めて考えさせられます。


お問い合わせCONTACT US

コンサルティング、セミナー、KC会員についてなど、
お気軽にご相談ください。