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カンボジアPKO30年と日本

小宮一慶のモノの見方・考え方
2023.05.23

私は毎年この頃になると思い出すことがあります。それは、カンボジアのPKO(Peace Keeping Operation:平和維持活動)に参加したことです。当時のカンボジアはポルポト派による自国民の大虐殺からようやく立ち直ろうとしていた時期で、国連(UNTAC:国連カンボジア暫定統治機構)が主導しての総選挙が行われることとなりました。1993年5月だったので、ちょうど今年で30年になります。日本か

らは41名の選挙監視員が参加しましたが、その一人としてひとつの投票所の責任者として立ち会いました。

カンボジアに行った前月の4月にたまたま読んだ日経新聞の記事に「選挙監視員を募集している」というのがあり、行きたいなと思い、当時勤めていた岡本アソシエイツの岡本行夫さんに相談したら、快く応援してくれました。実は50名の選挙監視員は、すでに半年ほど前に決まっていたらしいのですが、日本人の国連ボランティアが射殺されるなど、カンボジア国内が不穏で、自治体から参加の選挙のプロの人たちの一部の10人ほどが辞退

したということもあり、私が手を挙げたら採用されました。ひとりだけ飛び入りしたような状態でした。

PKO活動はひと月あまりの期間でしたが、いろいろなことがありました。まず、タイのパタヤビーチで簡単なオリエンテーションがあったのですが、そこでは、選挙に関してや衛生面での話のほかに、地雷原にはいったときや手りゅう弾を投げ込まれた時の注意などがありました。

カンボジアのプノンペンには、タイから国連がチャーターしたC130輸送機に乗り移動し、プノンペンから選挙監視を行うタケオというところには、100名くらいは十分乗れる旧ソ連製のヘリコプターで移動しました。

実際の選挙が始まるまでは、当時タケオにあった自衛隊施設大隊で宿泊させてもらいました。宿泊場所となる大きなテントを割り当てられたときに、自衛官から最初に教えてもらったことは、迫撃砲が撃ち込まれたらどう対処するかということでしたが、合計3週間ほど過ごしたタケオの基地では自衛隊の方たちにとても親切にしてもらいました。

防弾チョッキをもらい、タケオの基地から3時間ほど離れた奥地のお寺が私が担当する投票所でした。フィリピン軍の空てい部隊の軍曹だった文民警察官とペアになり1週間ほど活動したのですが、投票所のお寺ではカンボジアの人たち20名ほどと、3日間の投票日とその前後を過ごしました。毎日投票箱をフランス軍外人部隊が大きなトラックで取りに来て、翌朝届けにくるのですが、彼らも私にはなかなか刺激的でした。

投票期間が終わり、タケオの基地に戻った後も、フランス軍の基地で開票作業がありました。効率がとにかく悪いので、何日も昼夜かけて開票作業が行われます。私も何度か立ち会いましたが、夜間の作業の時には、明かりがついているのがそのあたりではフランス軍のテントだけですから、ムカデのような虫が本当に上から雨のように降ってくるのにはかなり辟易した記憶があります。

今となって残念なのは、自衛隊が整備をしたシアヌークビルの港などが、今では中国が大規模な開発を行っているということです。せっかくの自衛隊による貢献活動でしたが、中国に上前をはねられたような気がしています。これもこの30年間の日本の国力の衰退を表しているのでしょうか。

いずれにしても、当時35歳だった私には、とても良い経験になりました。何も言わず見送りだしてくれた家族や、温かく支援していただいた故・岡本行夫さんには感謝しています。当時私を守ってくれたフィリピン人の文民警察官とは、今でもフェイスブックでつながっているのはとてもうれしいことです。

わが国を取り巻く環境も大きく変化し始めていますが、カンボジアのことを思い出すたびに平和の有難さをつくづく感じます。


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