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「若者よ、君たちが生きる今日という日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」

今週の「言葉」
2023.08.22

-致知出版社「戦艦大和の語り部・八杉康夫さんが私たちに遺したメッセージ」より

今週の「言葉」は、何度かコラムに寄稿したことのある、「死生観」を強烈に問う一言です。

8月、先人に手を合わせ、何を思い定めるか

昭和、平成と過ぎ去り、流行り病と共に令和の時代は未だ混沌としたままです。78年前に、自分が生きていたならどのような人生になったであろうかと、毎年この夏の時節、先人、ご先祖様に手を合わせながら思い致す季節です。

八杉さんは沖縄への出撃の直前、お母さんとの最後の面会の機会を得ました。

別れ際に「母さん、17年間大変お世話になりました。たぶん、今回の出撃では帰ってこられないと思います。私の分まで長生きしてください」と八杉さんはお母さんに最後の言葉を発します。

するとお母さんは、小走りに後を追ってきて、

「あんたぁ、元気でなぁ。体に気をつけてなぁ、体に気をつけてなぁ」と叫んでおられたそうです。八杉さんは振り返ることなく、大和に乗艦したそうです。振り返ることができなかったのです。

当時、こうした光景が日本中であり、或いは最後の別れすら言えなかった、そうして散っていった若い命がある。そうした時代を経て、奇跡的に私たちはこの平和な世を享受しているのです。子供や孫の世代に、私たちはどのような未来を与えられるだろうか。そうした問いに、この8月、改めて向き合うことになります。

経営の理念、ビジョンに「生き方」が宿っているか

ドラッカー先生の名著『現代の経営・上』では下記のように語っています。

「人の成長ないし発展とは、何に対して貢献するかを人が自ら決められるようになることである。しかしわれわれは、通常、一般従業員を経営管理者と区別し、彼らを自分や他の人の仕事についての決定に責任もなければ関与もせず、指示されたとおりに働く者として定義する。ということは、一般従業員を物的資源と同じように見、企業への寄与に関しても機械的な法則の下にあるものと考えていることを意味する。これは重大な誤りである。」と。

人間の「自らの貢献」を明らかにすることが責任の土台です。もっと言えば、責任ある社会の土台です。これが民主主義、自由主義国家が成り立つ基本原則です。

人類が長い間希求した「自由社会」とは各々の「責任」があって成り立つのです。ゆえに、マネジメントに於いてこの「自らの貢献」こそが成果への足掛かりです。ゆえに、「一般従業員を物的資源と同じように見」ることを激しく否定しています。

こうしたあらゆるものを物の価値、目に見える価値だけで捉えようとする愚かさを「唯物論」と言います。この対にあるのが「精神」という目に見えない心や価値を大切にすることです。

ビジョンや理念とは、実際の戦略・戦術に落とし込む前に、そうした目に見えないけれども大切な「生き方」さえも含むものでなくては、人間を「物的資源と同じように見」てしまいます。

トゥインビーが語ったとされる消滅する民族の共通法則の一つに「すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる」とあります。こうした状態になれば、その国や民族には「想像力」が欠如していきます。ある企業の不正が追及中ですが、まさにこのことです。民族も企業も滅びゆく歴史は“内側から腐る”という一面を共通に持っています。歴史が繰り返すのではありません。人間が繰り返すのです。

心の価値を見失うとは、最終的には「今だけ・金だけ・自分だけ」という荒涼とした社会を残すことになります。

理念やビジョンとは、こうしたことの対極にあるものでなければなりません。

八杉さんは無くなる最後まで、子供たちに、青年たちに、こう語り続けました。

「真の平和とは、歴史から学び、つくり上げていくほかありません。」と。

8月、先人に心から手を合わせて、未来を良きものにするために、報恩感謝の念を新たにし、未来をより良い場所にするための熱源を得たいと思います。有り難うございました。


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