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経営と論語、そして陽明学

知恵のバトン
2024.01.09

新年を迎えました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
早々に天災と人災が立て続けに起こる年明けとなりました。能登半島をはじめとした北陸地方で罹災された方には心からお見舞い申し上げます。またお亡くなりになられた方にお悔やみ申し上げます。

東日本大震災の時もそうでしたが、このような大地震を目の当たりにして思い起こすのが鴨長明の『方丈記』です。平安末期、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という書き出しから始まる古典ですが、同じ時代の『平家物語』の書き出しは「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」から始まります。何れも、すべての物事は移り変わり、そのままとどまっていることはないことを言い表しています。日本列島に暮らしている以上、すでに自覚しておかなければならない感覚と言えます。

鴨長明はその短い生涯の中でこの世のすべての災厄を目の当たりにした人物です。都の大火災、大飢饉、源平争乱、都の遷都など、現代の我々が遭遇すれば間違いなく大混乱を招くような災厄が次々と起こりました。変わらないものはない、と到底思うことはできなかったでしょう。そして現代も毎年のように「大転換」「大変革」「先行き不透明」などと表現され続けています。「変わり続ける」ことは世の“変わらない原則”といえます。

こうした諸行無常の世にあって、私たちがこの大海を漕ぐ際の“オール”と“ゴール”は何でしょうか。それがなければただ流されていくだけです。経営においてはマネジメント(=経営)の原理原則、そして正しい考え方(人間としての正しい道)がオールとなるでしょう。では“ゴール”は?それは各々の目指す姿になるわけですが、問題はそれが頭で考えた理屈によるものか、体から出た本物のありたい姿かどうかです。後者で世の中を変えたのが、我が国の歴史では陽明学です。人物でいえば佐藤一斎先生及びその門下生、吉田松陰先生、高杉晋作、西郷隆盛、渋沢栄一などなど。因みに江戸時代の教育・学問が土台となっていますが、江戸時代に公で推奨されたのは朱子学です。その裏番組が陽明学です。朱子学は「先達はこう言っていた」という先人の教えを学びそれを守るという理論に終始した半面、時代を動かした陽明学は「知っているだけではだめ」(知行合一)という前提で心のレベルにまで達するように事上磨錬(じじょうまれん:練習ではなく日々の日常生活の中での実践を通じて技術や学問を高めていくこと)することを根本理念としました。これはまさに『論語』の冒頭にある「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや」のことです。では何を知行合一するのか。

何でも起こりうるこの1年を、しっかりと漕いでいくために学び実践すべきは、やはり歴史と古典ではないでしょうか。難しい言葉でいえば経験科学です。“個人が体験し得る範囲を超えた知見の集合”を歴史と言います。この先どうする?の参考書は歴史にしかありません。先人の教えを知り、事上磨錬し、次世代に希望のある社会を遺すために、絶えず変わりゆく河をしっかりと漕いでいきたいものです。


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