笑われて、笑われて、つよくなる。 | コンサルタントコラム | 中堅・中小企業向け経営コンサルティングの小宮コンサルタンツ
loginKC会員専用お問い合わせ

コンサルタントコラム

ホームchevron_rightコンサルタントコラムchevron_right笑われて、笑われて、つよくなる。

笑われて、笑われて、つよくなる。

今週の「言葉」
2024.01.11

-太宰治『HUMAN LOST』より

今週の「言葉」は、私が10代のときに頻りに読み耽った青森出身の小説家、太宰治(1909(明治42)~1948(昭和23)年)の短編にある一文より、いかにも太宰らしい言葉です。

だいぶ大人になって、改めて太宰を読むと、陰鬱さよりも何か、生きる勇気に似たものを与えられる気がします。その何かしらを教えてくれる太宰評に、歴史小説で有名な司馬遼太郎氏の次の言葉があります(太宰の全集を完読した上でとある講演で語った内容)。

得た結論は、彼は破滅型でも自堕落でもないということでした。太宰治の精神、文学がもっているたった一つの長所を挙げよといわれれば、聖なるものへのあこがれという一語に尽きるわけです。
あの人は『聖書』が好きでした。クリスチャンではありません。ただ座右の書として置いていた。素朴に清らかなものとしてとらえていた。『聖書』の文体が好きでした。よく引用した。そこからなにか着想して短編を書いたりしています。破滅型な作品でさえ、破滅していく主人公の心には、実に聖なるものへのあこがれが表れています。
(出典:「東北の巨人たち」『司馬遼太郎全講演3』)

私が太宰の文章に美しさを感じ、憧憬の念を持っていたことの理由がまさに言い表されていて、驚きました。流石、とはこういうときに湧く感情です。

聖なるもののあこがれという意味では、陽明学にそれを感じることが多いものです。我が国の近代化の土台をつくった先人たちが共通して学び実践した学問が陽明学です。佐藤一斎、山田方谷、佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛、渋沢栄一…、挙げたら切りがありません。

例えば、吉田松陰先生の次の一節。

「余寧ろ人を信じるに失するとも、誓って人を疑うに失することなからんことを欲す。」
(出典:吉田松陰『講孟余話』 安政二年)

▼現代語訳
「私は、人を信じたことによって失敗したとしても、決して、人を疑って失敗するようなことがないようにしたい。」

笑う側ではなく、笑われることを好む。また、裏切ることよりも、裏切られることを好む。こうした生き方に共感するものです(一方、実践は難しいものです)。昨今、ビジネスの世界ではコミュニケーションの質が問われています。すなわち、組織における人間関係の質に関わる話です。
コミュニケーションは人に対する態度がその本質です。何を言ったかよりも、人間に対する態度の一貫した蓄積が人生の立ち位置を決します。コーチングのスキルの一つ、傾聴もいわば技術と言うより“態度”です。態度とは、人間に対するその人の基本的な眼差しです。人格といっても良いかもしれません。人間関係の前提は、人格を高めることなのではないかしら、そう思うことがしばしば(その意味で私は未熟です)。
コミュニケーションで大切なことには、相手のことを知ること、そして一層重要なのは、自分を知ること。これは『孫子』でも同じことを言っています。自分を知るためには、「自己開示」が不可欠です。ありのままの自分を恥ずかしがらずに発露(アウトプット)することです。それ以外、真実の自分を分かってもらう術はありません。お互いに、です。
真剣な話も、だらしのない話も、自己開示すれば“笑われる”こともあるでしょう(時に暗黙の内にも)。しかし、笑われることでしか、己を知り、相手を知ることもまた出来ないものです。そのくらいのあり方が大切です。仮面をつけたままでは、誰も分かり合えません。それは孤独な生き方です。孤独な中では、組織・社会では生きられません。笑われて、強くなる。その道しかないように思うのです。
陽明学の始祖、王陽明は次のように語ります。

「人生最大の病患は、傲慢の一事に尽きる」(出典:王陽明『伝収録』下巻)と。

『論語』にも然り。陽明学の系譜にある、西郷隆盛、渋沢栄一にも学んだ稲盛和夫さんは「リーダーの人格以上に業績はあげられない」と語りました。リーダーとして、また一人の人間として人格を磨いていくうえでも、「笑われて、笑われて、つよくなる」、この力強き優しさを身に付けていきたいものです。


お問い合わせCONTACT US

コンサルティング、セミナー、KC会員についてなど、
お気軽にご相談ください。