◆歴史から学ぶために必要な2つのこと
”8月”という月は、先祖を迎え送るお盆や15日の終戦の日があることもあって、鎮魂と感謝の念を深くするとともに、何か過去から未来につながる重要な示唆を得ようとする心持ちを抱かせます。
先の大戦(大東亜戦争)で日本が敗戦を喫した原因を解明し、今後の教訓を引き出した名著『失敗の本質』を読んだことのある経営者は多いでしょう。同書の副題は「日本軍の組織論的研究」です。
歴史学とは過去のある時点でいつだれが何をしたかという事実関係を明確にする学問です。しかし、「なぜ起きたのか」「なぜそうしたのか」「どうしてそうなったのか」といった動機や真の原因、因果関係の部分についてはそれほど深く追求しません。しかし、その歴史の事実関係に「哲学・思想」(≒生き方)と「マネジメント」(≒経営の原理原則、パラダイム)を加えて学びなおすと、驚くほど現在そしてこれからの経営にも通用する実践的理論を発見することになります。因みに「経営」という字は、時代を貫くタテ糸である「経」を「営む」と表されます。
◆なぜ経営に「生き方」や「思想」が必要なのか
『失敗の本質』で引き出された教訓は様々ですが、ほぼ現在の日本の経営にも通用、或いは類似したケースが確認できます。歴史から最も引き出せる教訓は、人間が営むことには必ず知っておくべき「原理原則」が存在することです。この原理原則とは、ドラッカー先生も指摘するように必ずしもその通りしたからといって成功するかどうかは保証されないが、従わなければ時を経ず破綻する、という性格のものです。具体的には昨年喧しく報道されたビッグモーター社の事例がそれにあたります。
この原理原則のほかに『失敗の本質』から学ぶべき本質は、やはり組織の方向づけを決する「リーダーのあり方」と「リーダーの持つべきもの」(能力)についてではないでしょうか。特に本書で痛感させられるのは、有能な現場を多くの場面で無駄に殺してしまった戦略の拙さです。
「戦略」という言葉は、古代ギリシャの言葉で将軍の地位や能力を意味するストラテジアに由来し、それが欧州で19世紀に英語でストラテジーとなりました。クラウゼヴィッツの『戦争論』の登場です。そこで導き出された戦争での指揮官の有能さは論理的に考えたり分析して判断を下すことではなく、実践から導き出された本質を射抜く直観でした。旧日本軍の陸軍士官学校で使用されていた『統帥綱領』にもその本質は書かれていたようです。要はリーダーに求められるのは、生死を決する判断、決断に心から兵がついてきてくれるだけの「徳」(仁・義)を備えることと、その判断と決断の正確性を高める「智」(知性)なのです。旧日本軍の戦いでは全体観を見失い、目先の事象に右往左往する戦いを繰り返したことも痛手でしたが、そうした思想・哲学。そしてビジョンなき国家運営は今もそのまま当てはまるように感じています。
終戦後に開かれたかの悪名高い極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で石原莞爾が堂々と戦勝国に言い放った言葉が印象的且つ敗戦の本質として象徴的です。石原は当時も誰もが認める”戦争の天才”です。敵国にも心酔するものがいたほどの天才です。軍閥・張学良率いる22万の兵にたった1万の兵で勝利し、満州事変を完遂した首謀者がまさにこの石原莞爾です。石原がこの裁判で語ったいくつかの証言や言葉は以下のようなものです。
「この戦争に負けたのは東條ら指導者が無能だったからで、私が総参謀長だったらアメリカには負けていなかった」
「第一級の戦犯は広島・長崎、そして東京・大阪などで非戦闘員を大量に虐殺したトルーマン大統領である。その立場で明らかな国際法違反を犯した罪は重い」
「(東條英機と思想上の対立があったのではと問われて)東條には思想も意見もない。私は若干の意見は持っていた。意見のない者が意見のあるものと思想上の対立をすることはあり得ない」
※官僚型リーダーであった東條と対立関係にあった石原は最終的に軍を追われていた
紙幅の関係上、本コラムでは戦時の一つひとつの事象を取り上げられませんが、総じていま学ぶべきは過去・現在・未来をしっかりと繋げて国家も企業も経営(マネジメント)の原理原則、正しい考え方に立ち戻って目的と全体像を明らかにすると同時にその正しい実践から人間の持つ本来の直観や知性を未来に生かす組織戦略ではないでしょうか。