◆「出世」とは何か
今朝、出張先で仕事の支度をしながらニュースをつけていると、「若者の7割が出世を求めず」とのこと。因みにこの傾向はずいぶん前からのことですが、「出世=管理職になる」との問いに対するアンケート結果のようです。因みに「管理職を目指している」と回答した若者の理由で最も多かったのは「給与が増えるから」という回答(61.6%)とのこと(出所:マイナビニュースhttps://news.mynavi.jp/article/20241206-3077440/)。
そもそも出世とは管理職になることなのか。明治の指導者たちは出世のことを「立身」(身を立てること。典拠:福沢諭吉『学問のすすめ』など)と言った。また渋沢栄一は『はじめて世に出る青年へ』という書籍で次のように語る。「立身出世の肝は、絶対に自分でしようとするのではない。自分は自己の職を忠実にまた誠実に正しく守ってさえ行けば、他からその人に立身出世という月桂冠を戴かせて[最も名誉ある地位を与えて]くれるものであるということを忘れてはならない。」そもそも“自分で求めること”ではない、とはっきり教えてくれている。『孟子』に書かれており西郷隆盛も人を遇する規範としていたのは「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」である。
以前、管理職の9割は部下に無関心という本を読んだことがあるが、人財育成をやり抜いて組織に大きな成果をもたらした経験のある「管理職」は非常に少ないのが多くの企業に見られる実態である。
かつて立身とは「修身」から始まるのが原則であった。「仁義礼智信」という聖徳太子の冠位十二階にあったように、出世するには「徳」(=人格を高めること)を備えることが我が国では必須条件であった。
管理職だからと言って真の意味でのリーダーだとは限らないが、リーダーになる人の最初の条件は冠位十二階に従えば「義」があることで、つまり私利私欲ではなく(給与が増えるからではなく)、世のため人のために全体を考える人間であるかどうかから始まっている。
また「義」の元は「羞悪の心」である。悪を憎む、為すべきことをしないことを憎む強烈な精神をその土台としている。因みに冠位十二階では「義」の前段階は現場のエースプレイヤーとして「智」(本質を観る力、高い思考力)を以って個人の力量で業績をあげる者のことであった。しかしそれだけでは「功ある者」で終わってしまう。
◆最優先事項を優先する
「最優先事項を優先する」とはスティーブン・コヴィー博士の『7つの習慣』の内の3つ目の習慣である。時間管理の習慣のことであるが、成果をあげる者の基本習慣として知っている人も多いでしょう。即ち時間には「4つの領域」があり、下記の定義でマトリクスで示される。
①緊急で重要なこと
②緊急ではないが重要なこと
③緊急だが重要ではないこと
④緊急でも重要でもないこと
無論、成果をあげるリーダーは組織でも個人でも②の領域を増やすことを考え、継続するべく努力し、①を最小限の時間にとどめようとする。③と④はできるだけ避ける。
ドラッカー先生も『マネジメント』の中で「私の観察では、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何にとられているかを明らかにすることからスタートする。」と語る。では何が「重要なこと」なのか。
大谷翔平選手の成長に関わった2人の指導者がいる。菊池雄星選手も輩出した花巻東高校の佐々木洋監督と、元日本ハムファイターズ、野球日本代表監督の栗山英樹氏である。
佐々木監督は佐々木朗希選手も含めてなぜ岩手県から優秀な選手が排出されるようになったのかを問われて「私も、なぜ最近の岩手からはいい選手がたくさん出てくるようになったのかと聞かれることがあります。しかし、最近出てきたのではなく、本当はいままでにもたくさんいたんだと思います。にも拘かかわらず、我われ指導者の知識や技術指導が未熟だったために潰つぶしてしまっていた。ですから何が変わったのかといえば、指導者が変わったというのが本当のところだと思うんです。」と答えている(出典:『月刊到知』)。
栗山英樹氏は同じ雑誌の対談で大谷選手をはじめとする指導の在り方について次のように語る。「選手たちよりも10倍は勉強しないと彼らの成長に追いつかないし、人間的に成長させてあげることができない。指導者としての僕の課題は自分が人間として大きくなることだと思っていますので、だからこそ過去1000年、2000年の間、様々な苦しみを味わいそれを乗り越えてきた先人たちの教えにも積極的に学んでいるわけです。」(出典:月刊到知2019年4月号)
先の明治の指導者の教えや、偉大な成果を生み出す若者の成長に関わった2人の指導者に共通して言えることは、組織にとっても個人の出世にとっても最優先事項は、人格の向上、学び続ける習慣である。古典『大学』にもあるように、リーダーの本末転倒(本学=人間学を先にして末学=生きるためのスキルを後にすることの優先順位を間違えること)は、ゆえに許されないと先人たちは教えてくれている。