今週の「言葉」
「道義の根本は人の悲しみがわかるということにある。」
出典:岡 潔 『春宵十話』 (光文社文庫)
【岡潔という人物】
今週の「言葉」は岡潔(おか・きよし 1901(明治34)年~1978(昭和53)年)の『春宵十話』(光文社文庫)からの一節です。岡潔は数学者として世界的に最も評価された日本人です。有名な逸話として、文化勲章を授与される際、昭和天皇から「数学とはいかなる学問か?」と問われ「数学とは、生命の燃焼である」と返答したと伝わります。この真意はちょっと私には分かりませんが…。岡潔は数学者としてのみならず、特に晩年に至り、随筆活動にも積極的に取り組んでいます。日本の行く末を非常に案じつつ、仏教などの哲学を通じて人格の形成に関する意見を多く遺しています。
“人の悲しみがわかる”ことが、なぜ道義の根本なのか
話しを本題に戻します。「道義」とは人間としてのあり方、さらには日本人としてのあり方を語る文脈の中で表れたテーマです。訳すれば“人間としての正しい道”を説いている一節になります。そしてその根本は「人の悲しみがわかる」ということだと岡潔は結論づけます。
同じことは同時代の文豪や、古典の世界にも求める事が出来ます。以下、帰納的に本質に迫りたいと思います。
同時代に生きた太宰治はある手紙の中で「優しさ」について次のように記しています。
「人偏に、憂ふると書いてゐます。人を憂へる、人の淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢゃないかしら、さうして、そんなやさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。」(原文ママ、出典:『太宰治全集 第11巻』筑摩書房)
岡潔は本書の続きでこう語ります。
「人の感情、特に悲しみの感情は一番わかりにくい。だから小学校へ入るころまでは、人が喜ぶからこうしなさいとは教えられるが、人が悲しむからこうしてはいけないという教え方はできない」とし、この“人の悲しみ”がわかることが決定的に重要なのだけれど、それがわかるには二十歳の声を聞かなければならないのではないか、と語ります。
また、マネジメントやリーダーのあり方を学ぶ上で最高の古典の一つ、唐の時代の礎を築いた李世民とその側近とのやり取りを記した『貞観政要』にも、相手が「して欲しい」ことより「されると嫌がる」ことを想像せよ、とあります。さら敷衍すれば、道義を学ぶ最高峰の古典である『論語』では、孔子自身が人生で最も貫くべき事は何かと問われ「夫子の道は忠恕のみ」と答えたことは有名です。「忠」とは内なる真心に背かぬこと、「恕」とは真心による他人への思いやりのことを言います。人格を高める本質は、こうした優しさや思いやり、そして正しい考え方を自己の中に修養することにあると考えます。岡潔は本書本節の最後に次のように締めくくっています。「社会に正義的衝動がなくなれば、その社会はいくらでも腐敗する。これがいちばん恐ろしいことである。」と。