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本末転倒の本当の意味 「その本乱れて末治まる者は否(あら)ず」

今週の「言葉」
2022.07.29

出典:『大学』

 

今週の「言葉」は、人間修養の古典である「四書」の一つ、『大学』からの引用です。世に語られる「本末転倒」の真意を端的に伝えています。この「その本乱れて末治まる者は否(あら)ず」(出典:金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫)とは、どのような身分にある人でも、我が身をよく修めることがあらゆる物事の根本であり、その根本が出鱈目であるならば、いくら手段や知識を得ようとも末端が治まることはない、ということを言っています。これを成人の学問では「本学」と「末学」と区分して、その順序の規律を重んじてきました。つまり人間としての正しい考え方や道を求める「本学」を常に先とし、人間が生きるうえで必要とされる知識や技能といった手段の修練を「末学」として後に置く、という規律です。『大学』の冒頭ではさらに端的に次のように記されます。「物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し」と。

 

昨今、どのような道を進めばよいのか、或いは道を切り開く目的に迷えるリーダーが多いと感じる事が多くあります。「末学」ばかりを追いかけ、結果、思うような成果をあげることができない。では、その「成果とは何か」を問えば、売上や利益と語られる。このことこそがまさに本末転倒であるのです。なぜ本末転倒なのか。経営の原理原則に則して、ドラッカーの教えからも考えてみましょう。

 

ドラッカーは成果について膨大な言を遺していますが、端的には「仕事と成果が金銭的な「最終利益」以上のものであることを知らぬ人はいないだろう」と語ります(『P.F.ドラッカー 経営論』465頁)。さらにドラッカーは常に成果をあげたければ「なすべき貢献は何でなければならないのか」から考えよと主張しました。そのために3つの要素を考えよと語ります。第一に状況が何を求めているのか、第二に自己の強み、仕事の仕方、価値観からして、いかにして最大の貢献をなしうるか、そして第三として、「世の中を変えるためには、いかなる成果を具体的に上げるべきか」と。つまり成果とは「世の中を変える」ことなのです。故に、成果とは自らの使命と仕事を通じて「世の中により良い変化をもたらすこと」と私は定義しています。そしてもう一つの成果の原理原則はドラッカーが再三指摘するように「企業の外」にもたらすことです。ドラッカーはその著『マネジメント・上』で、成果を生むための企業が持つべき機能(実践)は「マーケティングとイノベーション」だけとしています。それ以外はすべてコストです。人を活かし、この2つに集中させるのが企業家たらんとするリーダーが行うべきマネジメントの仕事です。この場合、企業の外に成果を生むための時間を奪ってまで無用な管理の仕事を増やすことがドラッカーの言う本末転倒となります。

 

ドラッカーは同書「マネジメントと人間社会」の章で次のようにも語ります。「われわれは社会と経済の発展をもたらすものはマネジメントであることを知っている」とした上で、日本の明治維新を例示し「つまるところ、発展とは資力ではなく、人間力の問題である。その人間力の醸成と方向づけこそマネジメントの役割である。マネジメントが原動力であって、発展はその結果である」と。

 

世の中をより良いものにしようとする主体的な存在は人間です。マシンでも統計でも、科学ですらないのです。アインシュタインが『ひとはなぜ戦争をするのか』の中で、フロイトとの手紙のやり取りで交わした数々の問いがあります。この書簡が交わされた翌年、ドイツにナチス政権が生まれ、科学の力で大量の人々のかけがえのない人生を奪い去りました。彼は晩年にこの本末転倒を嘆きました。そしてこの本末転倒は政治の世界でも、ビジネスの世界でも、現在もまだ続いているのです。私も含め、リーダーを志す皆さまが、「本学」の知行合一の事績を次世代に遺し、人間として正しい考え方に基づいた経営(マネジメント)の実践によって、次世代が歩むであろう正しい道を一本でも多く敷設していくことが現役世代の我々の長期的な成果であると信じます。


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