子いわく、「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」(子路第十三)
(先生がいわれた。「君子は人とやわらぎ協調するが、やたらとつるんだりはしない。反対に、小人はよくつるむが、協調性はない」)
論語の中でも、長いことこの言葉の意味合いがピンとこなかったのですが、多少歳を経て、少し分かるようになってきました。
私は、人の話しを理解する、尊重するということと、話に同意する、ということは別のことだというお話しをよくさせて頂きます。
理解する、尊重する=いつも同意する、ではよくありません。
まず、相手が言っていることの意味だとか、また、なぜそのような発言をしているのかの背景、
考え、気持ちを理解してあげることは第一段階として必要だと思っています。
そこが理解できないのは、大概、自分の理解力や想像力の不足だったりします。
自分の理解力や想像力が不足していることの不明を反省するべきです。
また、相手が言っていることを理解するということは、相手に対する敬意にもなると思います。
そうした相手への敬意も、この論語の「和して」に含まれるのではないでしょうか。
但し、話が理解できることと、その話しに同意することは別です(「和して同ぜず」)。
第二段階として、もしその話しのまま行けば、相手の為にならない、また、
周囲や世の中の為にならないと考えるならば、見直しを求めるべきです。
それが相手に対する誠意でもあると考えます。
しかし、その時に、相手の話を理解する、尊重するというステップを踏んでいないとどうでしょうか。
きっと、「自分の話も理解も尊重もせずに、頭ごなしに見直しを求められても、見直す気にはならない。」ということになります。
ですから、本当によい方向にもっていこうと思うならば、相手の話を理解し、尊重した上で、
その次にもしその話しのまま行くとよくないと考えるならば、そのことを相手に伝え、見直しを求めるべきです。
相手の話を理解、尊重するあまり、よくない話も同意するのもダメですし、相手の話を理解、尊重せずどころか、始めから拒絶するのもダメです。
相手の話を理解、尊重した上で、よくない話であれば同意せずに、見直しを求める。この二つのことを両立すべきではないでしょうか。