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目が離せないタイ政局の変化

時事トピック
2023.08.22

タイは日本とは非常に関係が深い国です。戦国時代末期~江戸時代初期の16世紀末~17世紀初には多くの日本人がタイに渡り、日本人町ができました。

近代に入ると、東南アジアの国々がイギリス・フランスの植民地になる中、タイはラーマ5世の近代化改革により唯一独立をたもちました。この近代化改革では、ラーマ5世は日本の明治維新を参考としており、特に司法改革では日本人の法律顧問のアドバイスも得ています。

第二次大戦後、東南アジアが東西冷戦により政治が不安定となるなか、タイはアメリカの同盟国として政治が安定していました。政治の安定化は多くの海外企業進出につながり、日本企業の進出も進みました。現在もタイに多くの日本企業が進出しているのは、こうした歴史的背景があります。

東南アジアのなかでも政治が安定していたタイですが、2006年の軍事クーデター以降、不安定な政局が続いていました。しかし、現在進行形ですが、2006年以来の大きな潮目の変化が起こる可能性があります。今回は、その潮目の変化について考えてみます。

政治の安定により工業国として成長していたタイは、2001年からタクシン・チナワット氏が首相を務めていました。実業家として成功していたタクシン氏は、経済的成長の果実を地方や低所得者に行きわたらすため、インフラ整備や社会福祉の拡充に取り組みました。日本の田中角栄氏に似ているところがあります。

しかし、タクシン首相の独断的な政治スタイルは、王室をふくむ既存の支配階級から反発や警戒を受けていました。そのため、2006年に軍事クーデターが発生し、タクシン首相は海外に亡命します。

その後は、タクシン派と反タクシン派の政治闘争が繰り返されます。詳細な経緯は省略しますが、タクシン政権により果実を得た地方や低所得者の支持によりタクシン派が選挙に勝ち、一時的には政権につくのですが、反タクシン派の司法や軍部がタクシン派政権を否定することの繰り返しが行われました。

その後、2014年に軍事クーデターが起きてからは親軍部の政権が続いています。

しかし、今、今年5月の国政選挙(下院選)をへて再びタクシン派の政権が生まれる可能性がでています。ただし今までと大きく違うのは、タクシン派と、反タクシン派だった親軍部政党が連携(連立含む)する可能性がでてきたことです。

背景として、5月の国政選挙において、タクシン派以上に過激な民主化を主張する「前進党」が国会(下院)の第一党となったことがあります(タクシン派は第二党)。当初は「前進党」とタクシン派で連立政権を目指したのですが、「前進党」の党首に問題があったこともあり、政権樹立は失敗しました。

まさに現在(816日時点)、タクシン派はタクシン派幹部の首相による政権樹立を目指しています。しかし、「前進党」との連立は破綻しており、他の党派を含めても政権が樹立しない、もし樹立しても不安定になります。

一方で、親軍政党としては、「前進党」主導の政権よりはタクシン派主導の政権の方が「まだまし」と思っているのか、タクシン派政権の支持を検討していると報道されています。

もしタクシン派と親軍政党との連携・連立が成立すれば、2006年の軍事クーデータ以来のタイ政治の枠組みの大きな変化となります。

こうした動向に関連しているのか、タクシン元首相がタイに帰国するのでは、という報道も流れています。タクシン派と親軍政党との接近とも無縁ではないでしょう。

8月から9月にかけて、タイの政局はしばらく目が離せない状況が続きそうです。


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