「成敗は身に残る糟粕」この言葉は、渋沢栄一の「論語と算盤」からの引用です。「糟粕(そうはく)」は、酒をしぼり取ったあとに残ったかす、取るに足らないもののたとえです。
筑摩書房の現代語訳版では、はっきりと「カス」としています。「成功や失敗というのは、結局、心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなもの」とのことです。
私たちは、結果に一喜一憂してしまいますが、成功・失敗には運・不運もあります。自分でコントロールできないこともあるでしょう。一方、「心を込めて努力する」のは自分の問題です。やるか、やらないか、それだけです。
渋沢は、「成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくない」と言っています。「人として為すべきこと」は、世のため人のために役に立とうとしているか、ということです。
とはいえ、なかなか難しい。どうしたって、成功か失敗かという結果はでてきてしまう。
そこで提案したいのは、何を学ぶことができたか、つまり、成長に視点を移すことです。誰かと比べたり、結果に一喜一憂せずに自分の進歩に目を向ければよいのです。
「成敗は身に残る糟粕」という言葉が教えてくれることは、成功や失敗そのものよりも、私たちのアプローチと努力に焦点を当てるべきだということです。成功か失敗かという結果に執着することは、ストレスや焦りを生み出す一方で、本質的な成長や学びを阻害することもあります。
渋沢栄一は、「心を込めて努力する」ことが重要だと強調しました。つまり、我々は自分自身がどれだけ真剣に努力し、誠実に行動するかに集中すべきです。自分が何を学び、どれだけ成長できたかが、最も価値のある指標であると言えるでしょう。
他人と競争するのではなく、自分自身との競争に集中し、自己成長を追求する。そうやって、自己成長と向き合い、日々の努力と学びを大切にすることが、人生を豊かにするのだと思います。