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経営と日常に生かせるシステム思考の話

知恵のバトン
2023.09.26

システム思考と言うと、何やら難しそうな話と思われてしまいそうです。
私自身も理解しきっているわけではないのですが、簡単に説明するとこういうことです。

物事は単純であるように見えて実は複雑に相互につながっています。
例えば、ひどい頭痛がする場合には、痛み止めを飲んで軽減させることが多いですが、頭痛の背景には睡眠不足や内臓の疾患などが絡んでおり、さらにその睡眠不足は職場環境におけるストレスや労働時間、特定の人との人間関係が影響している、といったような相互の事象のつながりがあります。

システム思考とは、「頭痛⇒痛み止め」といったように直線的に考えずに、そういった相互の事象のつながりを踏まえて物事を捉えていこうという考え方です。

これを突き詰めていくと、世の中は複雑に相互作用をしていて完全に理解できるわけではない(世の中は複雑系)ので、そのことを認識して生きていきましょうという結論になります。

先ほどの例で言えば、システム思考でとらえることによって、頭痛を痛み止めを飲んでとめるという対症療法から、職場環境や特定の人との人間関係に原因を捉えてそこに向き合っていく、というような根本治癒に向かっていきます。

一方で、更にシステム思考で突き詰めていくと、その特定の人には特定の人の事情と環境があって・・・・といったように無限につながっていくわけです。

そのため、場合によっては、特定の人との人間関係を頭痛の改善のためになんとかしようと思っても、どうにもならないケースがあります。
その場合には、その先の特定の人の事業と環境そのものに検討領域を広げていくことが求められるのですが、そこに果たして影響ができるものでしょうか。

そういったことに向き合って、「そうか、そもそも自分の頭痛のため、といったような自己都合で相手との関係を改善する自分自身の人格をなんとかしなければ」という人間学の話になっていって自らの人間としての成長が頭痛の治癒の根本治癒になっていき、そのころにはすでに問題は頭痛ではないところにシフトしている、といったようにこの狭い範囲を考えただけでもいろいろと複雑であることがわかります。

当たり前ですが、どこかで境界線を引く必要があります。そして、その境界線がとても短いのが、目の前の頭痛のことだけを考える対症療法ということです。

経営や日常でシステム思考を生かす場合には、ある程度の広がりを持ちつつ、かつ、追求できる範囲のリアリティのある部分までに境界線を引いて対応することが必要でしょう。
ただ、その境界線を狭く引きすぎると結局対症療法と変わらないことになってしまうので、そのさじ加減が難しいところです。

よく、直観力を鍛える、アートの感覚を鍛える、という表現があります。

これも突き詰めて考えると、上記のように複雑につながっている身の回りのこと、世の中のことを捉えて経営や人生を送っていく中で、結局上記のように一つ一つを個別に(要素分解的に)解きほぐして論理的に因果関係を考えていったところで限界があるところから来ていると考えられます。

世界に目を向ければ、国家紛争や派遣争いも含めて複雑で相互に関連している物事の根本原因や先行きなどを個別に論理でとらえることなど到底できないことから、直感的に、臨機応変に対応していくしかない、ということが叫ばれているのです。
そのために直観力、アートの感覚を鍛えることで複雑系に向き合う判断力を磨こうということです。

このように考えると、ただ「直観力を磨こう」と言われるよりも、その必要性を感じていただけるのではないかと思います。

先ほどの頭痛からの人間学のつながりにもありましたが、リベラルアーツと呼ばれるものを学ぶ重要性はこの直観力を鍛えることにつながると考えることができるでしょう。

扇に例えるとわかりやすい(?)のですが、目の前の事(頭痛)は扇の先端で起きた現象です。しかし、それらをさかのぼると根本的な考え方、倫理的なことや基礎理論に行きつくことが多いのです。

人が歴史の中で、あるべき生き方や考え方は何か、また、自然科学・医学などでは、物事に共通する原理は何か、を追求した叡智の集積だからです。

一方で、世の中すべてがつながっているからすべてを直感で判断するのかというと、当たり前ですが、それでも必要な論理・道理は存在します。
「負けに不思議の負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり」と言われる所以です。

「負けに不思議の負けなし」ということは、すなわち論理・道理から外れていると何をやっても勝てないことを意味しています。
例えば、財務的な規律を無視して過剰投資をしたり、採算の取れない価格で商品サービスを提供したり、一人あたりの付加価値額が変わらないのに賃上げを継続したり、といったようなことです。

複雑系の世界ではあるものの、今の自身の状況を踏まえた判断は論理・道理でできます。

論理・道理で判断できることと、そうでないことの境界線をどこで引くか、そしてその先の複雑系の世界の判断をするための直観力をどう磨くか、こういったことが経営をしていく上でも、よりよく人生を生きていくためにも必要なことなのだと思います。


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