■知行合一と安岡正篤氏の「三識」
私たちは1日に数千から数万の判断・決断をしていると言われます。殊に経営者や組織のリーダーともなれば1日に多くの判断や決断を求められます。その質を高めていくための基本的な習慣(修養)について、今もなお多くのリーダーに影響を与え続けている人間学の碩学、安岡正篤先生は「三識」を唱えています。人間が判断・決断をする拠りどころは誰であろうと自身の「直観(直感)」です。では直観は何によってもたらされるかといえば「知覚」です。幕末のリーダーが学んでいた陽明学で言えば「致良知」であり「知行合一」です。まず「知覚」とは何か。例えばP.F.ドラッカーは『マネジメント』の中でこう語ります。
「(トップマネジメントたる者が)市場と顧客から遠ざかり、報告書に頼るようになるならば、組織として、市場の変化を感知し予期せぬことを知覚する能力は失われる」(P.F.ドラッカー『マネジメント・上』ダイヤモンド社)、或いは「コミュニケーションとは知覚である。(中略)知覚は論理ではない。体験である。」(同『マネジメント・中』、下線は筆者による)。
つまり「知覚」とは想像するよりも先に自ら五感で直接感じ取ることです。その蓄積が直観を磨きます。では陽明学の「致良知」とは、人間は生まれながらに「良知」(道徳的な直観や本性)が宿っているとし、それを実践することで人間としての完成に近づいていくと説く考え方です。そして「知行合一」とは「知覚」と「行動」が本質的に一致している(思っているのであれば即時に行為に表れている)という陽明学の重要概念です。つまり人間としての良い生き方を学び、その実践を通じて人間としての完成を目指すということです。この「知行合一」にはその人物の成長過程に3つのステップがあると安岡正篤氏は説きます。すなわちそれが「三識」です。3つの識は実践を通じて「知識」⇒「見識」⇒「胆識」と深まっていきます。知識(良知)を知っているだけでは使い物になりませんが、実践を通じてやがて「見識」に至ります。見識とは判断する力と言い換えても差し支えありません。稲盛和夫さんは著書『経営12か条』の中で、「見識とは知識が信念となったもの」と述べておられます。さらに「胆識」に至ると、何としても“やり抜く力”となります。いずれにしてもこの修養の始まりは「知覚」或いは「知識」となります。できる限り人間としての良い考え方、一夜漬けではない原理原則に直接触れることが大切です。そのために人々が何千年、何百年と「正しい」としてきた考え方を学び、それを実践して「知行合一」の質を三識のように深めていくことが、良い判断・決断を導くことに繋がります。つまり、そのような習慣を積み重ねることが成果を上げるうえで決定的に重要となります。
■決断の質を高める思考の5階層
良い決断、つまり直観にまで高められた良い軸をもつための習慣(日々の判断・決断の準備)について述べてきましたが、経営(マネジメント)の実務では具体的にどのようなことが起きているのか。それを具体的に示すために私は下記の「5つのP」で表現される思考の5階層を枠組みとしてリーダーに提供しています。
(1)Philosophy:会社の理念、思想、リーダーの「観」=ビジョン
(2)Principle:原理原則(共通の行動規範、共通のルールの根拠)
(3)Paradigm:モノの見方、考え方(歴史観を伴った状況、外部環境のとらえ方)
(4)Policy:方針、方向性(戦略の軸、時間軸、目的・目標と手段)
(5)Plan:具体的な戦術・作戦と計画(PDCAのCの軸、タイミングも明確にする)
上記で最も大切なことは全てに一貫性を持たせることです。一貫性とは信頼の基です。その一貫性のために最重要なことはリーダーの「観ていること」(人間観、経営観、仕事観など)が何であるか、そしてそれがお客さまや働く仲間の幸せにどうつながるのかを意識することです。人は当初「利」についてくるものですが、長期的には「幸せ」についてきます。例えば政治でいえば現在の我が国のトップの「国家観」はどうでしょうか。前政権の石破氏、そして今回日本初の女性総理大臣になった高市氏。目先の利益(保身や利権)を追っているのか、長期的な国益と国民の幸福のための「観」があるのか。選挙の時だけではなく、多くの国民はその有無を感じ取っているのではないでしょうか。
一貫性とは言っても上記の5階層のうち、(4)(5)は外部環境、世の中の流れやその方向性の予見によって柔軟に布石を打っていくことが求められます。分かりやすく分類すれば(1)~(3)は不易(容易には変わらない理念・原則・軸)であり、(4)以降は変易(状況に応じて変わり続けるもの)です。忙しく働いているけれども長期的な成果をあげられないリーダー及びその組織の共通点は、事を始める際にいきなり(4)Policy、あるいは(5)Planから始めてしまうことです。つまり何のためにという目的やなぜ私たちはそれをやることが重要なのかといった“あり方”や原理原則をすっ飛ばして、具体的に何をする、どうするを決めてしまっているのです。これでは成果の確度は低いままです。経営者、リーダーの一人の時間の修養(準備=習慣)が多くの人々の人生を左右するのです。
熊田 潤一