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「国家意識、市民意識の欠如がコロナ禍で顕著に」

小宮一慶のモノの見方・考え方
2021.07.27

先日、セミナー会員さんから、コロナと国家観に関しての朝日新聞のコラムをいただきました。コラムは京都大学名誉教授の佐伯啓思先生が書かれたもので、私にはとても印象的でした。佐伯先生とは、ずいぶん昔のアジア経済危機があった1997年にNHKのBSの討論番組で一度だけご一緒したことがありました。

 

先生の文章の内容は、欧米諸国ではロックダウンなどの強権的措置を採った国が多かったのに対し、日本は「自粛要請」などの緩やかな対応で、これが国家観を表しているというものでした。以下は、佐伯先生の文章についての私の解釈や感想です。

 

ロックダウンなどの厳しい措置を採った国々では、「国という共同体を守る」という考え方が強く、もちろん、市民の権利を守るということも重要ですが、「危機時」には、共同体を守るために私権の制限も許されるという考え方です。その延長線上で、コロナに対する対応も「戦争」という言葉を使っている国が多いのは、国家という共同体をコロナから守るという「危機対応」という意味だからです。

 

一方、日本の場合は、戦前の状況を踏まえた憲法などの設立経緯からしても私権を制限することが難しい状態となっており、共同体という意識が乏しいのが多くの国民の国家観だと思います。共同体の一員という国民意識や市民意識を持つ人も少なく、危機対応は、ある意味、国民の「善意」に委ねられているとも考えられます。ですから、共同体を守るために、私権を大きく制限する、あるいは私権を犠牲にするという考え方にはなりにくく、「自粛」という、ある意味中途半端な解決策しか得られず、したがって「自粛要請」に対しても従う人もいれば、従わない人もいるということになってしまいがちです。

 

今回の政府の対応には批判が多いものの、批判している人たちの中でも、十分な対抗策も少なく、とくに私権制限に関して強い意見を述べる人が少ないのは、先に述べた国家観が影響していると考えられます。

 

コロナの問題に関しては、東京はじめ関東などで感染が急拡大しているものの、ワクチン接種が進むことで、これから先まだ少し時間はかかるものの、ようやく先行きがある程度見えてきたと思います。(こんな時期にオリンピックを行うことの是非はもっと議論すべきです。)

 

一方、今後、戦争に巻き込まれるなどが起こった場合に、この共同体意識の欠如ということで、戦争などの危機時に対して、今回のコロナ禍のように、十分な対応を採ることが遅れるのではないかと、私は心配しています。もちろん、太平洋戦争前のような私権が大幅に制限され、国民の多くが国家権力の犠牲になるというような状況は許されないことは言うまでもありません。しかし、戦争や今回のコロナのような「危機時」には、ある程度の私権を制限しても、あえて言うと、私権を犠牲にしてでも、国という共同体を守るということが必要な場合があるのではないでしょうか。

 

佐伯啓思先生の文章を読んで、今回のコロナへの対応から、私たちが考えなければならない大きな課題が浮き彫りになったような気がします。もちろん、私権の制限については多くの意見があると思いますし、それが無制限に行われることは許されませんが、今一度、国や共同体のあり方や市民のあり方について考えてみることが大切なのではないでしょうか。


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