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「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。」

今週の「言葉」
2022.02.10

「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。」
※吉田松陰、獄中にて書いた高杉晋作宛手紙より

 

私は歴史は世界史、日本史とも好きで年中幅広く歴史本を読んでいるのですが、究極一番好きな歴史上の人物を一人あげろ、と言われたら迷わず吉田松陰と答えています。毎年、東京・世田谷にある松陰神社には必ず参拝しています。

その松陰の言葉に次のような言葉があります。安政の大獄にて処刑に亡くなられる前に、松陰神社の門下生である高杉晋作に送った言葉です。

 

「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。」
(死んでも朽ちることはない、という見込みがあれば、いつでも(国家社会のために)身を投げ出すべきである。生きて大きな仕事をなし遂げる見込みがあれば、いつまでも生き永らえるべきである。)

 

私は、長年この言葉は、安政の大獄で自説を主張する松陰が、「国家、社会の為に死ぬべき時と思えば死になさい」ということで言われたのかな、と考えていました。

しかし、時を経て、歳を多少重ねるにつれ、この言葉は「死」が強調されているのではなく、「生」を強調し、命を大事に使え、と言われているのではないかと思えるようになってきました。

 

考えてみると、生きていて「死して不朽の見込みがあれば」というシーンは人生の中でそうそうない訳です。松陰だって、安政の大獄で亡くなられずに、例えば山口の萩で亡くなられていたなら、まさに「不朽の」名を残さなかった可能性が高いわけです。

「不朽の見込み」があるような死に場所がないのであれば、「生きて大業の見込み」があるうちは、いつでも生き続けなさい、というのが本当はこの言葉の要諦なのではないかと思うのです。

 

そして、人間は生きている限りは、努力すれば「大業の見込み」があるものだと思います。

世の中には、人生に苦しみ、世をはかなみ自ら命を絶つ方もいらっしゃると思います。もちろん、そうした一人一人の苦しみに対して軽々に言えるものではありません。

 

しかし、松陰であれば、「今あなたが死んだからといって、あなたが報われるものではありません。生きて努力すれば必ず報われるので、生き続けてください」と言われるのではないか、と近年は思っています。

命の使い方、大切さを感じさせる言葉として引き継いでいきたい言葉だと思います。


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