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苟(いやしく)も仁に志せば、悪(にく)むこと無きなり

今週の「言葉」
2022.03.24

今週の「言葉」

「子曰く、苟(いやしく)も仁に志せば、悪(にく)むこと無きなり。」

出典:「論語(里仁第四)」

 

今週の言葉では「仁」について少しだけ考えてみたいと思います。

 

仁の心は安岡正篤先生の「論語の活学」から引用させていただくと

「天地が万物を生成化育するように、我々が万事に対して、どこまでもよくあれかしと祈る温かい心・尽くす心を指す」

「したがって、とにもかくにもその仁に志すようになれば、何事によらずその物と一つとなって、その物を育ててゆく気持ちが起こってくる。」

ということです。

 

この仁を志すことによって、「悪(にく)む」≒しりぞける・拒否する ことをしなくなるということです。

 

仁(万物にたいしてよくあれと願うこころ)があれば自然と何事にも好感が持てるようになるため、様々なことをしりぞけたり、拒否することをしなくなる ということですね。

 

好き嫌いが激しいというのは、まだ利己的であるということです。口で言うのは簡単ですが、私自身はなかなか気に入らないこと、嫌いなことを拒否する心は消せないものです。頭ではわかっているつもりでも、体が反応してしまします。

せめて、表には出さないように気を付けよう、と思う程度の段階であります。

 

「論語の活学」に紹介された例では、幕末の鹿児島の貧乏暮らしの変わり者の例で、ある冬の寒い夜に自宅に入り込んだ泥棒に対して「逃げなくてもよい、泥棒も寒いのに大変だなあ」と声をかけて、泥棒がびっくりして尻もちをついてお辞儀をした、というこいとです。

自らも貧乏暮らしの中で、自宅に入った泥棒にも「悪むことなきなり」で対応したということです。

 

経営においては松下幸之助さんが、「実践経営哲学」の「ことごとく生成発展と考えること」という題目において、

 

「この大自然、大宇宙は無限の過去から無限の未来にわたって絶えずある生成発展を続けているのであり、その中にあって、人間社会、人間の共同生活も物心両面にわたって限りなく発展していくものだと思うのである。

-中略-

その中で我々は事業活動を営んでいるのだと言う基本の認識は、どんな場合でも極めて大切である。そういう明確な認識が根底にあってこそ、いかなる場面においても真に力強い経営を展開していくことが可能になるのである。」

 

と述べていらっしゃいます。

 

「生成発展」と「生成化育」とはほぼ同義の言葉であり、経営の原理原則と古典の共通点を感じます。

このように、論語や松下幸之助さんなど様々な方々がお話ししている事の共通点があるように思います。

 

仁の心をもって生きることや経営を行うことは、他の人や環境(競合他社も含めて)を悪(にく)むことなく、力強い人生や経営を行っていくことにつながるのだと考えます。

経営の原理原則と人間が何千年も正しいと考えていたことの共通点をここに見いだすことができるのかな、と思います。

 


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